最近、社会問題になりつつあるディープフェイク。AI(人工知能)の技術が発達することは喜ばしいことかもしれないが、悪用された場合、被害は大きい。アダルトビデオの女優の顔を人気女優などと差し替える犯罪は代表例だが、権力者や政治家の顔を使って、演説映像をでっち上げてネットに流したら、世の中はパニックになりかねない。さらに、アカウントを乗っ取られたり、本人になりすまされたりして、根も葉もないことを拡散されたら立派な名誉毀損罪だ。詐欺メールが届くなんてことは今や日常茶飯事で、ネットには危険が多い。
先日「写真の女]という日本映画を見た。主人公の男性は写真をデジタル修正するのが仕事で、服の着せ替えなどお安いご用。傷のある体を無傷にしたり、細い目を大きくしたり、加齢させたり、自由自在に本人と異なる別人を作り出す。作られたイメージは一人歩きし、SNS(ソーシャルメディア)でもてはやされ、人気を集める。人々は虚像の人物を評価し追い求めるが、当人はそのギャップで悩み、本当の自分を見つけるために葛藤する。
しかし、SNSで発信される情報の真偽を、われわれは一体どのように確かめればよいのだろう。ひと昔前の報道といえばテレビ、ラジオ、新聞だったが、今やスマホを所有する世界中の人がニュースキャスターになってしまった。百聞は一見にしかず、と自分の目で確かめる時代も終わりつつあり、その検証や正確性をウィキペディアに頼ってしまうご時世だ。特に今はコロナで外出することすら難しく、情報収集はますますネットに頼るしかない。
これまでも、隠蔽(いんぺい)、八百長、オレオレ詐欺、ゴーストライターなど、欺瞞(ぎまん)に満ちた世界は存在していたわけで、皆、自分の身は自分で守ってきた。だまされないよう疑う癖をつけ、ナイーブな自分は放棄する。
11月の大統領選でドナルド・トランプは不正投票があったとして負けを認めなかったが、この真偽は個人で調査したとて答えは出ない。SNSの情報も同様で、真実の検証はまず不可能。ならば頼るべきは己のみ。つまりは、情報に真偽を求めず、自己に真理を問わん、といったところか。【河野 洋】