突然激しく全身を揺すぶられ、ベッドから放り出されるように目が覚めた。ノースリッジ大地震が起きたのは1994年1月17日午前4時半の出来事だった。やがて日本の姉や妹から安否を気遣う電話が相次ぐ。テレビで大地震のニュースが流れているという。瞬時に日本までニュースが伝わるその早さに驚いた。
 阪神淡路大震災が発生したのはそれから1年後、日付も同じ1月17日、時間は午前5時46分、1年前と1時間しか違わない。運命的なものを感じた。ノースリッジ大震災の後、日本からは多くの視察団が訪れた。口々に言ったのは「日本ではあり得ない」だった。「日本は名だたる地震多発国、設計からして万全を期している」が理由のようだ。LAは一本の橋脚でフリーウエーを支えるが、日本の高速道路は両側に橋脚を立て支える下駄方式だ。その絶対に大丈夫なはずの高速道路が無残にも軒並み横倒しになっている。さらに被害を拡大したのは火災だった。倒れた柱や壁に挟まれて身動きならず、生きたまま焼死した被災者も多かった。
 救済は自衛隊が最も早く体制を整えた。ところが直ぐに出動できない。ジリジリする司令官、法律で知事の要請がない限り勝手に出動できないのだ。当時は高齢の村山首相、労組出身で人柄の良さで調整力に優れた政治家だった。「何しろ朝早く初めてのことでしたから」政府も非常時の行動計画が不十分で救援が遅れた。のちに「想定外」という言葉が流行った。緊急事態に備えて行動計画を練り、システムを構築するのがリーダーたる政府の役目である。ノースリッジ大地震では、FEMA(連邦緊急事態管理庁)が活躍し、以降各国の緊急時の対処システムのお手本となった。のちの東日本大震災・福島原発事故で日本の緊急事態対処はスムーズに働いたのだろうか?
 昨年は新型コロナウイルスの感染爆発に振り回された。想定外を打破するには、現場をよく観察し、科学的分析に基づいたシステム作りが欠かせない。日本政府の対応は世論に振り回され、諸施策が逐次投入で後手後手に回っている。歴史に学び、緊急時の迅速な対処システム構築を願う。【若尾龍彦】

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