【中西奈緒】 「自らの命は自らで守る」――こんな呼び掛けが自然災害時以外でも使われるようになった。新型コロナの感染状況が制御不能であること、医療体制が機能不全であることを東京都の専門家が必死に訴えている。
どれだけの人がこの訴えを自分のことと受け止めているのだろう。厚生労働省によると先月25日時点の自宅療養者は全国で10万人以上。症状が悪化して救急車を呼んでも受け入れる病院がなく自宅に帰されてしまう人たちも多い。家族が全員感染し子供を残して母親が亡くなったケース、感染した妊婦の受け入れ先が見つからず早産で新生児が死亡する痛ましい出来事もあった。
まさに医療崩壊、緊急事態の何ものでもない。今後もし感染してしまったら、ガイドラインに従って症状悪化の兆候を見逃さず、自宅で血中酸素濃度を測り、どのタイミングで救急車を呼ぶか自分で考えなければならない。自分の命は自分で守らないといけない状況に陥ってしまった。
こんな状況下でも、コロナに対する危機感のギャップが気掛かりだ。マスクをせずにうろついたり会話したりする人たち。狭い店内に客を詰め込み昼から酒類を提供する近所のレストラン。マンションの小さなエレベーターにノーマスクで乗り込んでくるカップル。さりげなく距離を置いたり息を止めたり、いくら自己防衛をしても向かってくる脅威に対峙(たいじ)するのはとても気を遣う。
このぐらいは大丈夫と都合のいい解釈をして油断している人もいるだろうし、生活が成り立たないと自分の判断で国や自治体の要請に従わない店もあるだろう。「自分の身は自分で守る」が自分勝手な解釈で使われていないか。他人のことなどお構いなしの態度は許されるものではない。
ただ、なんでも国民一人一人に対応を任せてしまうのはどうだろうか。菅首相は就任時に、目指す社会像は「自助、共助、公助」と述べた。自分でできることは自分でという自己責任論を助長しているようにも思えた。その菅首相はきょう事実上の退陣を表明した。コロナから国民を守るという所信表明は守られなかったが、首相の目指す「自助」という社会だけは皮肉にも想像と違う形で実現することになってしまった。