年の瀬に髪を整えてもらっていると、「おせち料理など最近の人は作らないでしょう」と隣席から男性の声が聞こえてきた。「昔は作っていたものですが、今は買ってくるだけで」と。
 「昔」の感覚はそれぞれであるが、私の個人的な昔は母や祖母の作った物を食べるばかりだった。家を出てからは雑煮だけで済ませていたが、最近は日本を離れて長くなり、当地に希薄な年末年始らしさを求めて慣れない手つきで「伝統的」な正月料理を作っている。
 しかしながら、正月料理を重箱に詰め込んだ正月の「おせち」というものは、一般には比較的伝統の浅いものらしい。仏文学者の杉本秀太郎は京都の人で、随筆の名手でもあるが、その「洛中生息」にこうある。「テレビが普及するにつれて恐るべき勢いで流行し、いつのまにやらあらゆる家庭の正月準備の中心になったおせちというものも、私のところでは従来作らなかった」
 おせちだけではなく、他にも伝統的と若者が信じ込んでいることの歴史が、実は意外と浅い、という例はある。おおよそどの家庭にもテレビのある時代に生まれたので、すでに重箱のおせちは私の正月には存在したが、節分の恵方巻はなかった。それまではひいらぎいわしと豆まきぐらいのことだったのが、2000年前後からコンビニを中心にして節分の恵方巻が急に騒がしくなった。
 米国の伝統にしても、例えば感謝祭は18世紀には戦争勝利などを神に感謝する日で決まった期日もなかったが、すったもんだを経た揚げ句、1941年、太平洋戦争前夜に、11月の第4木曜日が感謝祭として国民の祝日に制定されたという(大西直樹「ピルグリムファーザーズという神話」)。
 伝統は、その時々の時代の要請に応じて変わっていき、語義矛盾のようだが新しい伝統も生まれてくる。そこには、政治的動機も市場戦略も思い込みも深く関わっている。
 無論、伝統には一定の意味がある。しかし絶対ではないのだと一呼吸おいて見れば、時に伝統によって生じる弊害とも折り合いを付けやすくなるように思う。【三木昌子】

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