
過去の日系史料などでなみは「佐吉の妻」としか伝えられていない。しかし彼女にもストーリーがあり、何より彼女は北米における初期日系移民の先駆者の1人であった。
外交史料館所蔵の「航海人明細鑑」のリストで若松コロニーに向かったとされる一行の中には「佐吉妻」と明記されたなみの名がある。

日米新聞1934年6月24付に掲載されたなみの長女・米(よね)のインタビュー記事によると、なみは米を身ごもると、当時サンフランシスコには良い医師と助産師がいなかったことを理由に、出産のため日本に帰国。出産を終えると2、3カ月後には米を連れて米国に戻ったという。
6年後にも出産のため米を連れて日本に帰国し男児を出産。仙太郎と名付けたが、その子は若くして亡くなり、その後も男児2人の出産のためその都度日本に帰国したが、その2人も亡くなったという。今でも日米往復は費用もかかるが、なみは当時の船旅で何度も日米を行き来していたようである。
米が6歳の時、なみは米とともにサンフランシスコのチャイナ・ミッションで佐吉と同じくギブソン牧師から洗礼を受ける。
オークランドの邸宅で料理人として勤務したなみはその後、サンフランシスコにあった日本人の寄宿舎で管理人として働いていた。そんなある日、悲劇が起きる。
娘を残し帰らぬ人に
日本人の男に頭部撃たれ
1886年11月7日、1人の男がサンフランシスコ警察に自首してきた。「クレイ・ストリート907番地で女性を殺した」
事件は同日午後6時半過ぎ、サンフランシスコにある寄宿舎で起こった。
警察が現場に駆けつけると頭部を撃たれた女性が裏庭で倒れていた。女性はすぐに病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。検死結果によると、死因は銃撃による脳損傷。
犯人は30歳の日本人のウエイターだった。当時、米国人にとって日本人名は馴染みがないせいか、犯人の名前はスペル間違いなどからさまざまな読み方で書かれているが、本人が法廷で正しい名前を「コノマシ・ハガシ(漢字不明)」と訂正しているのでここではハガシとする。想い焦がれた女性に拒絶され、狂気に至った。

事件当日、ハガシは何度もその寄宿舎を訪れていた。いったんはその場から立ち去るが午後6時ごろ、ベルが鳴る。
「柳澤さんに大事な用がある。すぐに会いたい」
前日から寄宿舎にいたなみは、住人たちと地下の部屋にいた。しかし、ハガシに呼び出され裏庭に出た。そのわずか数分後に銃声が鳴り響いた。驚いた住人たちが急いで裏庭に駆けつけるとなみが倒れていた。
「彼女を撃った。殺してしまった」。ハガシは大声で叫んでいたという。
この事件は新聞各紙が報じサンフランシスコ・エグザミナー紙とサンフランシスコ・クロニクル紙は事件後すぐに目撃者やなみの弟の証言などを報じた。
なみの弟は事件の2カ月ほど前、オークランドで庭師として働いていた時にハガシと知り合ったという。ハガシがなみとどのようにして知り合ったのか、特別親しい間柄だったかどうかは分からないが、1、2回なみを訪ねてきたことがあったようだ。
ここでいうなみの弟とは1900年の国勢調査や今回見つかった戸籍などの史料によると古川清五郎とみられ、妻・ヨシとの間には1875年に生まれた源太郎という息子もおり、彼らもまた渡米していた。
記事の中でなみの弟は、なみは35歳と話しており、弟とともにオークランドで暮らし、夫はソノマ郡ダンカンズミルズで働き2年ほど離れて暮らしていたという。弟は、なみと夫は離婚していないと語っているので夫とは佐吉のことだろう。
夫と離れて暮らす美しい日本人女性のなみに惹(ひ)かれる男性はほかにもいたようだ。ハガシはなみを一方的に想い結婚を望むが受け入れてもらえず、引き金を引いた。男の狂気が引き起こした悲劇だった。
その後の裁判でハガシには無期懲役が言い渡され、重罪犯が送られるフォルソム州立刑務所に収容された。刑務所記録によるとハガシは94年12月13日に刑期20年に減刑され、99年5月22日には出所している。
事件発生時、娘の米は13歳。サンノゼの学校に通っていた。なみの所持品からは米からの手紙2通が見つかった。
異国で子を育て、娘に少しでも良い教育をと願いなみは身を粉にして働いていたのだろう。これから先の娘の成長を見ることなく、帰らぬ人となった。
SF郊外で永遠の眠りに
記念公園に合同慰霊碑

なみは今、サンフランシスコ郊外の町コルマにあるグリーンローン記念公園で永遠の眠りについているとされる。
同記念公園によると、彼女の墓は当初サンフランシスコの「International Order of Odd Fellows(IOOF)」墓地に埋葬されていたという記録があるらしい。しかし、1930年代にIOOF墓地は同記念公園に移され、彼女の墓も同時期に再埋葬された可能性があるという。
現在、同記念公園にはIOOF墓地から移された魂が眠るセクションが設けられ、およそ2万6千人の魂が眠る。しかし、それぞれの故人の墓石はなく、慰霊碑があるのみとなっている。【吉田純子】
(第4話へ続く)