昨年6月に小東京で行われた「スタンプ・アワー・ヒストリー」の式典に、車いすで他のボランティアメンバーや家族とともに出席したフサさん(中央)

 「スタンプ・アワー・ストーリー・キャンペーン」の創設者の1人で二世兵士記念切手発行の立役者であったフサ・タカハシさんが1月16日、プレーサー郡グラナイト・ベイの自宅で死去した。94歳だった。
 娘のダイアン・ユエンさんによると、フサさんはサンフランシスコ49ersの大ファンで、NFCワイルドカードゲームで同チームがダラス・カウボーイズに勝利したのを見届けた直後に亡くなったという。「私たちは、試合の興奮とストレスが原因だと考えている。母は1週間ずっとこの試合を楽しみにしていた」とダイアンさんは話している。
 フサさんは、15年にわたり、第二次世界大戦の日系人兵士をたたえる記念切手発行にその熱意を注いだ。昨年、羅府新報の取材に応じたフサさんは、第442連隊戦闘団の兵士が描かれた切手には後世に伝えるべき重要なメッセージが込められているとし、「常に自分のルーツや、自分が何者であるか、そしてアジア系米国人であることを誇りに思ってほしい」と話していた。

2021年6月4日、デモクラシーセンターで開催された記念式典。右からUSPSのエグゼクティブプラントマネジャーのダニエル・ヒライさん、フサさん、ウエイン・オオサコ共同委員長

 フサさんは、2005年に、チズ・オオヒラさん(故人)、アイコ・オガタ・キングさんとともに二世兵士を記念切手として発行する活動を開始。夢は21年6月に実現した。この記念切手は、米国の郵政史上初めてアジア系米国人兵士が登場し、日系人強制収容所の歴史が描かれた画期的なものとなっている。
 切手発行第一号都市の式典が開催された折には、小東京まで足を運び「ゴー・フォー・ブローク・モニュメント」と「戦没日系人兵士記念慰霊碑」に献花した。新型コロナウイルスのため出席者を限って実施されたデモクラシーセンターでの式典には、孫娘のキミ・トンプソンさんら家族が同行した。キミさんはフサさんに代わって登壇し「ようやくこの日が来た。祖母はこの切手発行を実現するために長い間活動してきた。今日たくさんの人がこの会場に駆けつけ、祝いの言葉を述べて祖母の功績を祝ってくれたことを、私はとても誇りに思う。祖母はいつも大切な人を祝ってくれるが、今回は私たちが祖母を祝うことができてうれしい」とコメントしていた。
 フサさんの突然の訃報に「スタンプ・アワー・ストーリー・キャンペーン」の共同委員長を務めるウエイン・オオサコさんは「フサさんの家族とともに彼女の死を悲しみつつも、フサさんの優しさやリーダーシップ、そして15年にわたったコミュニティーへの啓発活動における彼女のビジョンを思い出している。このビジョンが全米そして世界に広がり、昨年の記念切手発行つながったと思う」と述べた。
 フサさんは、マーセド郡コーテズの農場で7人兄弟の真ん中として育った。第二次世界大戦中は、コロラド州のアマチに収容された。1949年、サンフランシスコで薬剤師を目指して勉強していた夫のカズさんとブラインドデートで知り合い結婚。カズさんは第二次世界大戦中、米国陸軍情報部に所属していた。
 その後、夫妻はサンパブロにあるラリー・レクソール薬局を購入。家族で住むための家を探している時に住宅差別を経験した。フサさんは子どもたちが小学校に通っていた64年に、同年に出された「提案14」に異を唱えた。この提案は63年に制定された「ラムフォード公正住宅法」を無効とし、不動産所有者が人種による差別を公然と行えるようにしようというものだった。「私たちが家を買おうとしていた地域はアジア人が住むことをよしとしなかったが、母はどうしてもその地域で家を購入したがっていた。常に不公平感を感じていて、間違ったことを正すために情熱を持って取り組んでいた」と娘のダイアンさんは当時を振り返る。
 孫娘の1人でノースカロライナ州に住むケイトリンさんは、フサさんに医者になるように勧められたという。ケイトリンさんは、ドクター・タカハシとして一族の名を残すため、現在同州グリーンビルで一般外科の研修医として働いている。「祖母は、自分の信念を堂々と主張する人だった。祖母の活動や政治的信念に励まされ、私も正しいことのために声を上げようと思うようになった。祖母は亡くなってしまったが、彼女の意志を継いで他者の権利を支援できるようになりたい」とケイトリンさんは思いを語った。
 77年に、夫のカズさんが52歳で亡くなると、フサさんは薬局を引き継ぎ専任の薬剤師を雇って店を切り盛りするようになった。70歳でいったん退職したものの、米系ドラッグストア「ライトエイド」で働きはじめ82歳で完全に引退した。
 フサさんが15年前に活動を開始した「スタンプ・アワー・ストーリー・キャンペーン」はやがて全米へと展開していくが、そのきっかけは、フサさんが幼なじみのアイコ・オガタ・キングさんと2人で全米日系人博物館を訪れたことだったという。生前フサさんは「私とアイコさんは、二世兵士たちがヨーロッパや太平洋の戦場で成し遂げた功績についての展示を見て、彼らの活躍をより多くの人に知ってもらう必要があると思った。兵士たちは、収容所の有刺鉄線の中から出兵に志願していた」と語っている。以来、2人は嘆願書の配布や米国郵政公社(USPS)および連邦議会議員への働きかけ、そして第442連隊戦闘団によってナチスから解放された地域のフランス人やその家族の幅広いネットワークによって支持を集め活動の場を広げていった。
 2020年11月に米国郵政公社が「ゴー・フォー・ブローク」のフォーエバー記念切手の発行を発表したとき、フサさんは大喜びした。「夢がかなって母はこの上なく幸せだった。誕生日や祝日のたびに記念切手の発行が現実になるように願っていると言っていた」とダイアンさんは振り返る。
 フサさんの情熱は、サンフランシスコ49ersにも及んだ。フサさん夫妻はチームがサンフランシスコのキーザースタジアムで行う試合をよく見に行っていたという。誕生日のパーティーなども試合に重ならないようにスケジュールするほどだった。
 1月30日にはNFCチャンピオンシップで49ersがロサンゼルス・ラムズと対戦したが、残念なことにチームは最大のファンの1人を失ってしまった。悲しみの中、家族はフサさんが最後までハッピーなファンとして安らかな眠りについたことに救われているという。「母は94歳で亡くなったが、数字を入れ替えれば49になる。最後まで真の49ersのファンだった」とダイアンさんは語った。【グエン・ムラナカ、写真=マリオ・レイエス】

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