コロナで缶詰め状態が続く2022年、収束したとは言えないが、最近は、対面が普通にできるようになってきた。イベントも目白押しで、先日、久々に音楽クラブをのぞいたら、マスク着用者はわずか2、3人程度という目が点になる光景が広がっていた。
 そんなある日、自分の中ではもはや死語になっていた「飲み会」が、2年以上ぶりに居酒屋で行われた。90年代初頭に日本を出てニューヨークにやってきた盟友たち。
 その中に、ニューヨークに来て一年にも満たない新入生もいた。
 「いえ、私なんてまだまだです」。日本人にとって謙遜は美徳と教えられるが、ここニューヨークで、それは逆効果を生み出すことになる。間髪入れず、古株の一人が新人にくぎを刺す。「ダメだよ、謙遜は。昔、ある日本人役者が自分の英語力を謙遜したら、成功しなかったのは、その英語力のなさが原因だと責任転嫁されたんだよ」
 自分の実力を知り、そのレベルを正確に伝えることは、プロ、アマ問わず、非常に大切なことだ。できないのにできるとハッタリをかまし仕事を取る。うまくいかなければ、自分ではなく他に原因があると主張する。そうして生き残っている人たちはニューヨークに少なくないだろう。言ったもの勝ち、やったもの勝ち、「お先にどうぞ」の連続では生き残ることはできない。弱肉強食の世界なのだ。
 できないことをできると豪語するのはホラ吹き、しかし、できるのにできないと謙遜するのも、事実を伝えないという点ではうそつき、となる。そのいい例が、日本人がついつい言ってしまう「I can’t speak English」と堂々と英語を話すことだ。その文章自体がすでに英語なのだから、「I don’t speak English well」と言うべきだろう。
 謙遜することで自分を高めていく気持ちを持つことはもちろん大切だ。しかし、世間をぐるりと見まわして、自分の立場と力量を正しく伝えることは、もっと重要ではないだろうか。そして何よりも大切なことは自信を持つこと。自信(自身)がないから自分を過小評価し、誇大広告してしまう。「I am who I am (私は私)」。(河野 洋)

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