「興味深いものが届いたから」と、息子が連絡してきた。
東京生まれ米国育ちの息子だが、夏休みは隔年に高知の祖父母の元で小中高校生活を体験しているので、気持ちは高知県人。高知に関連したものには強い関心を持っている。忙しい仕事の息抜きのひと時にeBayに「Kochi、Japan」と打ち込み、桂浜の古い写真や坂本龍馬の絵などがスマホに現れるのを楽しむという。
その息子が、迷った揚げ句に購入を決めたのが、戦後すぐに高知に進駐した米兵の撮った写真が入っているという木箱。エステートセールで手に入れた人が売りに出したらしく、KOCHIという言葉に引かれてのこと。
UPSで届いたままの箱を抱えて夕食後、息子は家族を連れてわが家にやってきた。
皆が見守る中で包装紙を破ると、古色蒼然(そうぜん)とした木箱が現れた。縦横30センチほどの頑丈な箱の底に貼りついていたのは、箱を製作した日本の工場のラベル。ふたの表には、黒々と大きな文字で兵士の名と帰還先の米国住所。中には、新聞切り抜き、手紙、十円札と一緒にたくさんの写真。ほとんどが、1945年から46年にかけての高知での写真だ。
写真の裏に詳しく説明が書かれているところを見ると、どうやら日本駐留中に米国の家族に郵送したものを、日本から持ち帰った箱にまとめて保管しておいたものらしい。写真は、兵士仲間や日本人ハウスボーイの姿、高知城に市街地の情景とさまざまだ。
覚悟していたとはいえ、写真の高知は私たちの知る高知ではなかった。焼け野原という言葉の通り、町は燃え尽きていた。夫は、ため息とも興奮ともつかぬ声を出しながら、撮影地点の見当をつけようとした。終戦ひと月前の7月4日未明、高知市は125機のB29による空襲を受けて焦土となったという。夫の生家は郊外で被害を免れたものの、焼け出された親族が皆実家に帰ってきて、数年間は十数人が一緒に住んでいたらしい。翌年生まれた夫はその余波を受け、「いつもひもじかった」と当時を振り返る。
eBayで届いた箱は、その場にいる者を一挙に75年以上も前に引き戻した。悔しいことにウクライナでは今また、同じような苦しみが繰り返されている。(楠瀬明子)