
米ナショナル・ウィメンズ・サッカーリーグ(NWSL)に今季から参戦するロサンゼルス・エンゼルシティーFCに移籍したなでしこジャパンのアタッカー、遠藤純選手とチームが、南カリフォルニア日米協会(三好麻里会長)の支援を受けることになり、パートナーシップを祝う日米協会へのレプリカユニホームの贈呈式が12日、センチュリーシティーのホテルで行われた。遠藤選手は日米の懸け橋となる活躍を誓った。
背番号18のサイン入りユニホームに袖を通した三好会長は、支援について「日米協会のこれからの113年の長い歴史の1ページを飾ってくれることにワクワクしている。遠藤さんは21歳と若く、まだまだこれから活躍できる。精いっぱい応援することを決めている私たちが付いているので、どんどんチャレンジしてがんばってほしい」と、期待を寄せた。
遠藤選手は三好会長から贈られた花束を手に「アメリカには覚悟を決めて1人で来たので、自分の決断に後悔がないように、サッカーを楽しむようにしたい。サポートしてくれる皆さんの期待に応えられるようにがんばりたい」と、力強く語った。

2020年に創設されたエンゼルシティーは、共同オーナーが女性を占め、女子テニスのセリーナ・ウイリアムズや元米国女子サッカー代表のレジェンドのミア・ハム、ハリウッド女優ナタリー・ポートマンなどセレブリティーが名を連ねる。経営陣も女性で固めるユニークなチームだ。日米協会もまた、「働く女性のリーダーシップ向上のイニシアチブ」を掲げ、企業の女性管理職を基調講演に招いた大規模なコンベンション「ウィメンズ・リーダーシップ・カウンツ」を毎年開催しており、ダイバーシティー(多様性)を推進する両者の考えは一致。三好会長は「エンゼルシティーは素晴らしい考えを持っているので、われわれは全面的にサポートしようということになった。これからが大変楽しみ」と語った。
遠藤選手について三好会長は、「若い選手が1人で海を渡り戦いに来た。いろんな困難があると思うが、私たちが支えていることを忘れないでほしい。攻撃の選手なので、どんどん攻めてほしい」と希望した。
佐野吉弘共同副会長は、米国での日本人スポーツ選手の活躍は歴史が長いとし、現在では大谷やダルビッシュが活躍する野球の例を挙げた上で「今度はサッカーの日本人女子選手が、覚悟を決めてこちらにやって来たことがとてもうれしい」と語った。
エンゼルシティーでスポーツディレクターを務めるエニオラ・アルコさんは、元英国代表で英、米、伊の各プロリーグでプレーした経験がある。日米協会のバックアップについて「新チームなので、多くの日系企業を会員に持つ日米協会と日系コミュニティーに応援してもらえることは、とてもうれしい。日本から来たジュンとチームは大きなサポーターを得て、実力が発揮されると思う」と述べた。

アルコさんは現役時代に米国リーグ(WPS)で宮間あやのアシストで多くのゴールを決めることができ、英チェルシー時代には永里優季とプレーしたと、かつての日本人チームメートを振り返った。11年にFIFA最優秀選手賞を受賞した澤穂希とも対戦した。引退後は英国リーグのアストン・ビラで岩渕真奈を獲得するなど、日本選手のスタイルをよく知っている。遠藤選手のプレーについては、米国リーグでは俊敏さとフィジカルが求められるが「うまく適応している。創造性があり技能と頭脳をを持ち合わせた選手だ」と評価し、「プレシーズンマッチでも力を発揮している。29日の開幕戦を楽しみにしてほしい」と話した。
日米協会のフランク江口共同副会長によると、同協会のスポーツ選手支援は近年ではインディカー・ドライバーの佐藤琢磨選手以来。佐藤選手へのサポートは、未勝利だった10年に開始した。佐藤選手はその後、13年にロングビーチで初勝利を挙げ、世界3大レースの一つのインディ500で17年と20年に2度優勝した。江口副会長は「遠藤選手にも、佐藤選手と同様の日本とアメリカの懸け橋となる活躍を期待したい。ウィン・ウィンの良い関係で盛り上げていきたい」と、全力の支援を約束した。
記者会見に臨んだ遠藤選手は、海外移籍を決断した理由から新チームへの思い、課題の克服、新天地での抱負を語った。
19年のワールドカップ(W杯)フランス大会を経験したことで海外への思いを抱いたというが「このまま海外に行っても潰れてしまう」という不安が募り「自分には絶対にできないと挑戦する前から決め付けていた。強い意志がなかった」と明かした。そして、不本意な結果に終わった昨年の東京五輪は「小さい頃から憧れた夢の舞台だったが、思い描いていたものとかけ離れていて、本当に何もできなかった」と悔しさをにじませた。五輪では海外のトップ選手と比較し、「技術・フィジカル面、スピード、ゴールへの執着心の全てで劣っていた」と痛感し、弱点を克服する向上心を強めた。「『世界で通用する選手になりたい』『日本の女子サッカーをもっと盛り上げたい』という気持ちが勝るようになった」と説明し、入団のオファーに即決した。

ここまでチームに加入し1カ月半ほど、練習をこなしている。日本ではスピードを武器にしていたが、スピードとフィジカル面で劣ることを肌で感じたという。「走るスピードのみならず、考えるスピード、ボールを持たれた時のプレスのスピードが足りないことが分かった」「他の選手のいいところを常に吸収して、もっといい選手になりたい。自分は攻撃の選手なので、得点を挙げてチームを勝たせ、個人としてはしっかりと結果を残したい。自分のプレーを見せて、皆の目標になる選手になりたい」と語った。
「女性」を前面に押し出すチームについては「チームについていろいろ調べた。とてもいいチームに入ったと思う」と喜ぶ。男女のスポーツを比較し「男子は人々の関心が高くメディアを通していろいろ発信されるが、女子サッカーはなかなか発信されない」と指摘。その格差を埋めることも目標だと言い、「女子スポーツの地位を向上させるビジョンを持つこのチームで、(格差を埋める)貢献ができるようにがんばりたい、もっと多くの人に興味を持ってもらいたい」と願った。
羅府新報の単独インタビューにも応じた遠藤選手。福島県白河市生まれで、大リーグ・エンゼルスの大谷選手と同じ東北出身である。大谷選手の活躍に刺激を受けているが、ロサンゼルスに住んでいる日本人の活躍も感心している」と敬意を表している。日系コミュニティーの応援を背に全力でプレーし、ゴールで恩返しすることを約束した。 「日本食は大好き」と話し、自炊していると言う。得意料理に肉じゃがと豚のしょうが焼き、オムライスを挙げた。当地では日本の食材が容易に手に入ることを喜んで「オフの1人でいる時間ではストレスなく自由に料理を楽しむことができ、いい気分転換になる」と語った。
11年、小学4年のときに東日本大震災を経験した。内陸だったため津波の被害はなかったものの「原発問題などがあり、とても怖かった」と振り返る。同年夏のW杯ドイツ大会でなでしこジャパンが米国を破り初優勝を遂げ、被災地が勇気付けられたことを、胸に刻んでいる。そして「今は自分がそういうことを与える立場になったので、多くの人に届けていきたいと常に思っている」と、日本代表としての自覚を強調した。

なでしこジャパンは震災の翌年のロンドン五輪で銀メダル、15年のW杯カナダ大会で準優勝に輝いたものの、その後は低迷。「厳しい評価は、プレーしている自分たち選手が一番分かっていて、その評価を変える思いもあってアメリカに来た。このチームで精進して、日本に帰ってレベルを上げるようにしたい」と飛躍を期す。
W杯と五輪は、他の国内の大きな大会では感じない「日の丸を背負って戦う」重圧があるという。「アメリカではメンタルでも成長し、プレッシャーを楽しめるようになりたい。試合では一対一の当たりで負けずに、90分間走り切るサッカー選手にとって当たり前のことをこなして、自分のプレーでチームが勝ち、『遠藤は変わった』と思われるように成長したい」
日本の女子リーグでは1試合の観客数がわずか1500人ほどだったという。ところがエンゼルシティーは練習でさえすごく多くのファンが見に来る。「そういう環境でプレーできてうれしい。皆さんの支えがあってプレーができることを実感している。ファン一人一人を大切にし、プレーで魅了し期待に応えられる選手になりたい」と、プロ意識に徹し、ゴールをファンにささげると誓った。
遠藤選手のデビューは29日の今季開幕戦。本拠地バンク・オブ・カリフォルニア・スタジアムにノースカロライナ・カレッジを迎え、午後7時半キックオフ。チケットは、17ドルから。ウェブサイト—
www.angelcity.com/tickets