劇場の楽屋などでは、開演時間が近づくと「開演5分前です」などとアナウンスが入り、出演者や関係者に注意を促す。楽屋に開幕前の緊張が走り、出演者は出番をとちらないように幕が上がるのを待つわけだが、人生にもそれに似たようなものがある。
 それは出番のあるパフォーマーに限られたことで、出番のない人にとっては、5分前だろうが1秒前だろうが何の関係もないわけだ。
 では出番を失った人にとってはどうだろう。やはり出番のない人と同じことで、かつては味わったことのある緊張も失せ、メーキャップは大丈夫だろうか、セリフは間違えずタイミングよく出てくるだろうか、などと神経をとがらす必要もなく、全ては過去のこと。一途に仕事に打ち込んできた人が、「ハイ定年、ご苦労様でした」とリタイアさせられた時の気持ちに似ているかもしれない。身体は楽になりピリピリと神経を使うこともなくなる。時間がゆっくりと流れてゆく。そして一度解けた緊張感は元に戻ることなく、いわゆる「老後」を生きることになる。
 家庭の主婦もまたしかり。仕事を持ち、育児、家事を同時にこなしてきたスーパー・マザーもまず仕事を辞めて、子どもたちも独立して手がかからなくなる。それどころか親孝行な子どもと同居でもすれば、ゆったりと隠居させられて「長い間ご苦労さま、これからは、私たちの出番です。ゆっくり老後を楽しんでね」と家事一切を取り上げられ、たまに散歩でもできれば良いほうで、テレビの前に特等席を準備してもらうことになる。
 親孝行をしようと老いた両親の出番を次々取り上げてゆくことで、親の老化を速めていることに気が付いていない子どもが案外多い。もちろん「何だか物忘れもするし、危なっかしくて」という気持ちも分かるけれど、少しくらい心配でも「お母さん、この煮物の味はこれで良かったかしら、ちょっと見て頂戴」と一芝居打って、親に出番を返してあげることも親孝行ではないか。それによって、なんだかあやふやになっていた「おふくろの味」が食卓に戻ることもある。
 誰にでも出番は必要なのだ。(川口加代子)

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