生まれた国を出て好きな所に住むのは当然、みたいに考えて海外に出る若い人が増えているが、海外に出られるようになった過程を理解していないし、よその国に住むのは大変だということを分かっていない。
 LAで出会った先人たちが「日本人」を語る時、「日本人の勤勉さ、約束は守る、真面目な生活態度などから、信用されるようになって、仕事をもらえるようになった」「移民を制限されたり、住みたいと思うところは断られて住めなかったり、大変なことを経験してきたのよ」などと聞かされたものだった。だから後進の若者がちょっとでも言動や態度で「日本人らしさ」から外れることがあると「今の日本人はどうなってるの?」とお𠮟りを受けた。最近、日本から来た若者がホームレスになって、お金をせびり裸足で走り回る様を見たら腰を抜かすのではないかと思う。先人たちのことを思ったらできないことだ。
 横浜にある海外移住資料館を訪ねた時、他の訪問者はいなかった。隣に建っているカップヌードルミュージアムは中高生の団体など若い人でにぎわっていた。日清食品創業者の安藤百福の功績は大きい。もちろん、彼の発想、諦めの悪い不屈の精神での努力は大事で若者に伝えたい。ただ、隣のビルにも立ち寄ってほしいという思いは打ち消せない。
 水野龍(りょう)が立ち上げた「銀ブラ」のカフェ・パウリスタは創始者の思いを伝え残している。ブラジル移民を進めるだけでなく、移民に寄り添い、両国との関係が良好に続くように尽力した水野の功績は、コーヒー業界の礎になっていると思われるし、嗜好(しこう)品としての今日のコーヒー普及に影響を与えたことは言うまでもない。何の銘柄、どこそこのコーヒーがおいしいと言いながら歴史も何も分からず喫していることが多いと思うが、同様のことが多くのことにも当てはまるだろう。
 初期の移住と現在では捉え方や社会の状況が全く異なる。現在のいうなれば明るい移住と、期待に悲壮感が漂う初期の暗い移住とでも言ったらいいだろうか。明るいから簡単に考え、ホームレスにも簡単になれる? これが当たり前にならないでほしいと思う。(大石克子)

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