誰にでも1日24時間は与えられる。どのように使うかは、もちろん、その人次第だ。一般的に言えば、睡眠や就労時間は平均8時間くらい、日常よくある仕事の会議、友達、知人との飲み会、家族のだんらん、そうしたものであれば、長くても、せいぜい2~3時間だろう。しかし、つい最近、非常に面白いことが起きた。
それは、2年前のコロナ禍中、オンライン映画祭で知り合った方との2年越しの初対面の出会いだった。その方とはSNS交信を何度かしたことはあったが、電話やビデオ会議でお会いしたこともない。僕が米国、相手は日本が拠点なので、会う機会もほとんど巡ってこなかったわけだが、これも運命か。お互いに対するささやかな好奇心がシンクロし、偶然、2人が東京にいる時に会うことになった。
待ち合わせは、ネットで見つけたとあるカフェ。曇り空が雨を運び、湿った出会いの演出か、相方は道に迷い15分ほど遅れて店に顔を出した。初対面で遅刻されたら人によっては悪い印象を持つかもしれないが、全てをポジティブに考える僕は、不慣れな街で迷子になり、わざわざ最寄り駅まで戻ってタクシーを利用してまで来てくれた相手に好印象を持った。
2人は映画の仕事に携わっていること、アメリカ生活の経験があることを除けば、他に大きな共通点はない。しかし、お互いが発する言霊が眠っていた記憶を喚起させ、話題は尽きない。過去の背景や住んでいる環境なんて全く違う者同士なのに、何を話しても話が通じる。「同じ言語」を話すとは、このことか。分かり合えるという心地良さは、長い間、忘れかけていた感覚だ。
会話のロングラリーは終わらない。同じ店に長居はできず、店を変え、雨の街が見える窓際の席に腰を下ろし、2人は積もる話をさらに続けた。トイレ休憩以外、話しっ放しだったが、時計を見たら深夜近い。合計したら9時間。初対面の人とぶっ通しで話をした経験は、これまで一度もない。最後の別れ際、なぜか急に懐かしい気持ちになり僕の魂は震えた。僕は全くスピリチュアルな人ではないが、でも、この人は以前どこかで生き別れた人だと直感した。(河野 洋)