
1982年2月4日の設立以来、サウスベイの日系社会に根差して活動を続けている女声合唱団「さくらコーラス(宇野芙美子会長)」がこのほど、創立40周年を祝う記念コンサートをトーレンスのフェイス・ユナイテッド・メソジスト教会で開いた。新型コロナ禍の難局を克服して晴れの舞台に上がったメンバー22人は、万感の思いを込め美しいハーモニーを奏で、130人の聴衆を魅了し、大きな拍手を浴びた。
設立時の中心メンバーで歌唱を指導する波多江美代子さんによると、設立当時は女声合唱団というとロサンゼルスのダウンタウンに「紫の会」(現在の「森の会」の前身)があったが、サウスベイでの活動はなかったという。そこでサウスベイの歌好きの仲間4人が「コーラスをやろう」と思い立つと、翌週にはあっという間に7、8人が集まったという。
メンバーはすぐに15人ほどに増えた。永住者に加え、当時は日系企業の米進出が盛んな頃だったため駐在員の妻が次々に入会し、駐在者は一時、会員の約3分の1を締めたという。会員数がピークを迎えたのは80年代後半で、40人以上が在籍し活発に活動した。

発足から10年目ごろまでは、さまざまな日系団体と協演したり、各所のイベントに招待され舞台に上がった。竹下圭子さんが指導するオレンジ郡の「ゆーかりコーラス」と、波多江さんが設立した「LAメンズグリークラブ」とコラボレーションし、合唱の喜びを共有した。当初は定期コンサートは2年ごとに開いていたが、15年目から5年ごとの節目に開催している。
また、さくらコーラスは地元に留まらず遠征演奏に活動の場を広げ、フレズノ、ハワイ、カナダの日系合唱団と合同演奏し、交流を深めた。カナダでは阪神大震災の義援金集めのために現地の日系グループ「さくらシンガーズ」と合唱し復興に貢献した。親睦バス旅行でもメンバー間の親睦を深めた。
2000年にはミレニアムを祝う「二世週祭コーラルフェスティバル」をさくらコーラスが発案し、他の日系合唱団に声をかけ6団体でイベントを成功に導いた。この大合唱祭が好評を得たことが、波多江さんを初代会長に南加日系合唱連盟を創立する礎となった。同連盟は現在小川弘子さんが会長を務めている。
05年に2度目の合同合唱祭を催し、その後は2、3年おきに開いている。09年には南加日系合唱連盟が主導しウォルト・ディズニー・コンサートホールでベートーベンの「第九」を演奏した。波多江さんは「あんなに有名な大ホールで6団体合同で歌えて、歌った人も聞いた人も感動したことを自負している」と、横のつながりの重要性を強調する。
30年継続の慰問、再開に意欲
コロナ禍では励まし合う

定期演奏会に加え、波多江さんが「特筆すべきこと」と胸を張るのは、サウスベイ敬愛ホーム(旧敬老ホーム)への慰問の活動で、当初は年1回だったが、「次はいつ来てくれるの」というリクエストに応え、月1回の慰問をこれまで約30年間にわたり行っている。入居者が鈴や木琴、タンバリンなどの楽器を奏でてメンバーと一緒に歌う音楽セラピーを兼ねた活動で、20年3月まで続けていた。新型コロナウイルスのパンデミックで中断しているが再開を待ち望んでいる。慰問は波多江さんが1人で始め、その後波多江さん自身はサウスベイから転居したためできなくなったが、他の会員が引き継いでおり、波多江さんは「みんなが本当によく頑張ってくれた」と、たたえる。

コロナ禍で解散を強いられた日系合唱団がある中、さくらコーラスはメンバーの団結心を強めて逆風を乗り切った。集まることができずズームで練習したが、ノイズやハウリングには悩まされたという。宇野会長は「ズームでは同時に声を合わせることができないので、ハーモニーを楽しむことができず、コーラスの醍醐味(だいごみ)を味わうことができなかった。みんなはフラストレーションを感じていたと思う」と振り返る。
ズーム練習では、歌のみならず「マイニュース」というセクションを設け、近況を話し励まし合った。外出を自粛した不自由な生活中でも知恵を出し合い、巣ごもり時の料理メニューの紹介などで盛り上がり、感染対策の情報交換も互いの役に立った。コロナの規制が緩和され、練習を再開できたのは今年の3月だった。
練習再開も、また一難
たどり着いた晴れの舞台
やっと再開した練習が順調に進んでいた5月、指導する波多江さんが自宅で転倒し意識を失い入院した。1週間で退院したものの2カ月間養生しなければならなかった。その間、ピアノ伴奏を務める小川弘子さんが代わって指導し、波多江さんの復帰を待った。メンバーは「40周年公演はもう無理かもしれない」と心が折れそうになったというが、「40周年は今年しかない。とにかくやろう」と気持ちを切り替え奮起。開催日を決めて、その日を目指して猛進したという。プログラムは本番に間に合わせるために曲数を減らし対応した。
宇野会長は、40周年公演ではコロナの感染防止の制約を設けたことを説明する。マスク着用と入場者数制限、受付での来場者の記帳を求めた。宇野さんは前回の35周年と同様に満員御礼を願っていたが、「入場者の数を絞らなければならず、130人に抑える努力が一番大変だった」と、心苦しかった思いを吐露した。

選曲について波多江さんは、「歌う人と聞く人が共に楽しめる歌」を心がけたという。メンバーが希望した得意の持ち歌はもとより、練習を重ねた中で「これはいける」という曲など、選りすぐりの23曲を用意した。
ついに迎えたコンサート。前半は日本の歌7曲で固め、「さくら」や「浜辺の歌」など、懐かしい童謡、唱歌、民謡を感情を込めて歌うと、日本に思いをはせた観客の中には一緒に歌を口ずさむ人も見られた。後半はラテン語、英語、スペイン語や、ドイツ語に似たイディッシュで歌い、観衆を世界各地へ誘った。賛美歌、クリスマスソング、モーツァルト作曲の名曲、歌唱が難しいオペラの歌曲、世界各国で歌い継がれている民謡などを披露した。4部合唱の「今や五月の季節」はピアノ伴奏なしのアカペラの暗譜で歌い上げた。最後の「美しき碧きドナウ」は、設立当初からのメンバーの1人で92歳の内尾康子さんのたっての希望で長い難曲に挑んだものだったが、力を注いだ練習の成果を発揮した。「アンコール!」の声が飛び交う中、指揮者を務めた波多江さんは「ちゃんと用意しています」と笑いを誘った。

5年前の35周年コンサートでは、会員は家族や孫たちと共に楽しく歌った。今回は小さかった孫も成長して合唱を味わうことができる年齢になった。波多江さんは「皆さんの反応が良く、喜んで聴いてくれ、励みになった」と喜んだ。家族の成長は、選曲に影響を与えたという。
宇野会長、感慨ひとしお
「また、これから頑張ろう」
波多江さんは、設立からの40年を振り返り「和気あいあいと歩んできた良さがあり、40年という年輪の重みも感じる。仲間が結束して心と声をそろえて歌うコーラスの大切さを学んだ」と、感慨深げに語った。「40周年まで、みんなで盛り上げて付いてきてくれ、公演を成功できて、大きな財産になった。私自身がメンバーに励まされ、元気をもらっている。統率力のある宇野会長と野口純子副会長を中心に、これからも歌の好きな皆さんと歌っていきたい」と述べた。

宇野会長は、コンサートについて「お客さんから大きな拍手をもらってうれしかった。高齢化しているメンバーだが、それぞれに力を発揮し、精一杯歌って喜んでいたことが、とてもよかった」と胸を張った。準備から本番まで挫折しそうになった険しい道のりを振り返り「奇跡と思うほどうまくいった。コロナ禍と波多江先生のけがを乗り越え、みんなが助け合って頑張ってくれた。高齢の方もいたが、誰も倒れることなく、本当に無事に終わってよかった」と安堵の表情を浮かべた。「公演が終わったら力が抜けて会員が辞めてしまうのでは」と心配したと言うが、「成功裏に終わった公演は、みんなの力が合わさったからできたこと。コンサートに向けて各担当を決めて、手作りで進めたので結束感が増した。だから、終わってから『また、これから頑張ろう』という気持ちが皆に湧いてきている」と話す。「本当に頑張ってきてよかった。これからも少しずつ、一歩一歩進んでいきたい」と、抱負を述べた。
