今年も1月17日が来て阪神淡路大震災を思い出す。あれからもう28年。前年はLAでもノースリッジで大地震が発生したが、それから1年後の日付も同じ1月17日、日本から大震災のニュースが飛び込んだ。TVの画面は、高速道路がひっくり返り、街中の至る所から火の手が上がる様子を伝えた。自衛隊は出動準備を整えて命令を待つが県知事の要請が遅く出動できずにいた。時の首相は社会党の村山富市首相だったが、自民党一党主導の55年体制が崩れ、連立内閣は経験が乏しかった。全国から多くのボランティアが集まってきても、何を手伝えば良いのか分からなかったという。
 ある大手商社に勤めていた知人は被害の激しかった芦屋が実家で、母親は家屋倒壊で亡くなった。彼は会社に休暇届けを通告し、芦屋市役所の友人たちに連絡をしてボランティアを1カ所に集めた。地図を100カ所ほどの区割りに分け、ボランティアを配置し、被害状況の確認や必要物資のリストなどを調査させた。「恐らくあれが最初の被害状況調査書だったろう」と語る。
 災害時に最も大切なのは、状況の把握と的確な支援指示である。そのための指揮者が最も大切なのだ。阪神淡路大震災が後に「ボランティア元年」と言われたのは、それまでは災害時への備えは自治体まかせだったからだ。
 1998年6月、日本企業誘致プログラムで17人の視察団を募りウエストバージニア州を訪問したことがある。その際にGreenbrierというリゾートホテルを訪れ、地下にあるリロケーション設備を見学した。そこには、地下の2層に上下両院議員の宿泊設備が設けられ、60日分の食料・水が確保されていた。議員といえども寝台は2段ベッド。しかし共和党・民主党の院内総務にはしっかりした部屋があり、応接間まである。他にも米首都周辺に幾つかの施設が分散されており、大統領、副大統領は別の場所だという。米国は非常時にいかにリーダーを大切にするかという姿勢を学んだ。
 災害はいつ、どのように起きるか予測できない。地震が多発し毎年台風の襲来を受ける日本は、さまざまな備えと共に災害時のリーダーを用意すべきだろうと、今年もまた考えさせられた。(若尾龍彦)

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