1920年代当時の職員。約100年が経過しても小東京で営業を続けている

 1903年、ライト兄弟はキティホークで初の制御飛行を行い、フォード社は初の自動車を出荷し、クレヨラは初の箱入りクレヨンを製造販売し、野球はボストンとピッツバーグが近代メジャーリーグの第1回ワールドシリーズで戦った。
 その年、ロサンゼルスでは南カリフォルニア大学の3人の学生、山口正治、渋谷清次郎、飯島栄太郎が、ロサンゼルスに住む約千人の日本人移民に情報を提供するために1ページのガリ版印刷の日本語新聞を立ち上げた。駒井・ヘンリー・豊策(H・T)は22年に発行人になった。

1903年に小東京で創業した風月堂。今年羅府新報とともに120周年を迎えた

 また、03年には岐阜県から移民した鬼頭精一が、小東京のウェラー通りに米国初の和菓子店「風月堂」を開店した。鬼頭の店に菓子を購入しに来た客が当時無料だった羅府新報を同時に手に入れることも珍しくなかった。
 42年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領が西海岸から日系人全員の強制退去を命じた時、羅府新報と風月堂はいずれも多くの日系ビジネスと同様に閉鎖された。戦後、家業を再建する責任はH・Tの息子である明と、精一の息子であるロイら2世に委ねられた。現在は3世であるマイケル・コマイとブライアン・キトウとがそれぞれの事業を率いている。
 風月堂が製造販売する菓子一つにも、郵便配達やEメールで家庭や会社に届く羅府新報の各号にも、120年前の1世の創業者たちが想像もしなかったような進化や変化を遂げた現代の顧客や読者、広告主、ソーシャルメディアのフォロワーらの姿がある。
 一方で羅府新報が本日、第3万4千号の一里塚に到達しても決して変わらないことがある。それは大小を問わず、われわれのコミュニティーを定義し記憶するのに役立つストーリーを報道するという本紙の使命である。(エレン・エンドウ)

ロサンゼルス街にあった羅府新報の本社前で集合写真に収まる職員=1934年7月22日

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