昨日知り合ったアーティストが、ニューヨークから東京へ、自作のアートハガキを毎日郵送するプロジェクトをしていると話してくれた。果たして1年後に東京で開催する個展に365枚のハガキが届いているのだろうか。それはふたを開けてみないと分からないのだが、これまでのところ、届いていないものがあったり、7枚まとめて届けられたり、既に何枚かのハガキは迷子になっているらしい。原因は他の郵便物の中に紛れて別のところへ送られたり、誤って捨てられたり、いろいろあるのだろう。実際に僕も投函(とうかん)日から1年以上たって郵便が届けられたという経験はある。
こうしたことは日常の生活の中でも起こる。送り先の相手からメールの返信がない。返信がないから、再度メールをする。それでも返事がないので電話をしてボイスメッセージを残す。それでも返事がない。迷惑メールで処理されたか、忙しくて返事ができないのか、理由が分からない。にっちもさっちも行かないので、僕は相手の事務所に飛び込み訪問をしてみた。すると、元気そうな本人が出てきて、忙殺され返事ができなかったとわびてきた。そして、たちまち要件は片付いた。
今年1月から米国各都市でコンベンションやイベントの仕事をしているが、どこもたくさんの人がマスクをすることなく対面を楽しんでいる。オンラインは確かに便利だし、コロナ渦中は世界中の人々が遠隔を余儀なくされた。そして、今でもオンラインで何でもかんでも済ませてしまう人は多いし、営業マンも出張がめっきり減った。コスパが悪いとされるからだ。
ビジネスは結果が全てだろう。メールやビデオ会議で移動することなく仕事を遂行できれば、確かにコスパは良いだろう。しかし結果=収益(メリット)を追求する考え方は、可能性を断絶する行為に見える。失敗や無駄と思われる行為の中には、人間らしさがたくさんあって、そこにはアイデアやひらめきなど、目に見えない大切なものがたくさん詰まっている気がしてならない。僕は人生のコスパを高めるために、回り道や「無駄な時間」を大いに楽しみたい。(河野 洋)