上杉武夫さんに設計していただいた狭庭(さにわ)の枯山水も(言い訳がましくなるが)パンデミックやらなにやらで、ここ1、2年、手入れを怠っていた。夢枕に立った上杉さんから「その後、庭はどうなっていますか」と尋ねられ、恐縮した。2日ほどかけて落ち葉をかき集め、雑草をむしり、小石の流れをよみがえらせた。かつては小川がカシの大木にまとわりつくように曲がりくねって流れていたのだが、猛風でその大木が押し倒れてしまった。
 ぽっかりと空白ができ、ハート型の3枚の葉の草が繁殖し始めた。朝、黄色い五弁の花を咲かせ、陽が落ちると、花弁を閉じる。繁殖力が強く、一度根づくとどんどん領域を広げていく。「雑草」と思っていたこの草花は、調べてみると、「酢漿草」(カタバミ)という由緒ある植物だった。生薬名は、「サンショウソウ」といい、もんで傷口に当てると、血止めの効果があるらしい。欧州では賢婦(A wise wife)を象徴する草花だという。根絶しにくいことから「(家系が)絶えない」と家紋に用いられ、備前の宇喜多氏や土佐の長曾我部氏の家紋にもなっている。
 そんな植物が狭庭に住み着いてくれたのである。「雑草」と決めつけていた自分を恥じるのみだ。「雑草」とは、「農耕地で目的の栽培植物以外に生える草」、転じて「たくましい生命力のある草」とある。米国雑草学会は「人類の活動と幸福、繁栄に逆らう全ての植物」と定義づけている。
 どうやら「雑草」には、人間の主観から「人間の意図に関わりなく自然に繁殖する植物」という社会学的な定義と、「降雨降雪や人為的な要因による土壌かく乱に対応した植物」という生物学的な定義とがあるらしい。牧野富太郎博士は、「雑草という植物は存在しない。人間の都合で特定の植物を邪険に扱うべきではない」と主張する。
 稲垣栄洋氏は、著書の中で、「雑草は踏まれても除草されても、大きな力に逆らわず、しなやかに乗り越えていく日本人の姿を連想させる」と書いている。そういえば、ひと昔前、大リーグで活躍した上原浩治氏は、無名だった自分を大リーグに押し上げたのは「雑草魂」だったと言っていた。庭の「酢漿草」は、先日の大雨で無残にも押し倒されてしまった。ひと茎ごとに奮い立たせると、翌日、陽の光を浴びて生き返った。(高濱 賛)

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