ウィルソン公園で開かれたピクニックの参加者

 トーレンス市と千葉県柏市との姉妹都市提携が50年を迎え、日本からの派遣団45人がこのほど同市を訪れた。4日にわたる祝賀記念イベントで固い絆を確認した両都市は、関係をより一層深めていくことを誓った。
 記念イベントは、歓迎会を皮切りにピクニック、トーレンス市長による招待ディナー、アームストロング劇場のそばで行った桜の木の植樹、トーレンスのノース高校訪問、両姉妹都市の看板の除幕式、元交換学生が出演した「友好祭」などを開き、夕食会で締めくくった。
 ウィルソン公園でのバーベキューでは、元交換学生、ホストファミリー、歴代の姉妹都市協会会長、元市議のジョージ・ナカノさん、歴代市長など、参加者全員がそろいの黄色のTシャツを着用して一体感を高めた。数十年ぶりの再会でもブランクを感じず、「家族のように接することができた」と、参加者は口々に語った。
 市庁前で行われた歓迎会では、訪米団45人を市の職員が星条旗と日の丸を振って出迎え、トーレンスの市民合唱団が米国歌と君が代を斉唱した。
 約50年にわたり姉妹都市交流にかかわってきたトーレンス市在住の鶴亀彰さんは、今回、三つのイベントでトーレンス市長の通訳を務めた。鶴亀さんは交流にかかわった縁で第2次世界大戦で戦死した父親の戦争体験を記録した本を出版、平和を願っており「歓迎会で米国人が君が代を歌い、感動した。日米関係がここまでよくなったことに感動した」と語った。

姉妹都市の柏市の方角と距離を示す看板の除幕式。右からトーレンスのジョージ・チェン市長、小菅あけみKIRA会長。左端は柏市の太田和美市長

 鶴亀さんによると、トーレンスから柏に生徒を送った家庭は、柏からの生徒のホストファミリーにならければならないという条件がある。「柏に行った生徒が大学進学や就職でトーレンスを離れたとしても、親は柏からの生徒を迎え、姉妹都市交流にかかわり続けるという点がすばらしい。これが、この関係が50年も続く最大の理由だと思う。トーレンスと柏の関係は全米姉妹都市委員会から『ベスト姉妹都市』に選ばれるなど何度も表彰されているが、それもうなずける」と述べた。
 柏市国際交流協会(KIRA)の小菅あけみ会長に両市の関係の始まりを聞くと、元々交流していた両市のライオンズクラブの気運が高まったことが姉妹都市につながったという。当時のケン・ミラー、山澤涼太郎両市長が1973年2月20日にトーレンス市で調印し、両市は姉妹都市提携を正式に締結した。
 トーレンス姉妹都市協会(TSCA)初代会長の故ミコ・ハゴット・ヘンソンさん(東京出身でトーレンス在住)の尽力で、学生交換と、トーレンス市から柏市に英語補助教員(1期2年で最長2期4年)を派遣するという二つのプログラムを創設した。
 小菅会長は学生交換プログラムについて、各市が毎夏3週間8人ずつ迎え入れると説明し「子どもたちは互いにすごく仲良くなって、両市はいい関係を築いている。トーレンスから柏に328人の生徒と付き添いのリーダー45人。柏からトーレンスには生徒362人。延べ700人を超え、日本と米国を行き来している。ホームステイし異文化に触れることで、人生を変えるプログラムに発展した」と強調する。
 プログラム参加者がその後に活動を支援するボランティアとなることで交流の輪は広がっている。ホストファミリーもメンバーに加わることが多く、「家族ぐるみの付き合いになり、メンバーが増えると互いに助け合う気持ちが育ちとてもうれしい」
 柏市はトーレンスに加え、中国・承徳と40年、グアムと30年、オーストラリア・キャムデンと25年、それぞれ国際友好都市関係にあるが、トーレンスとの交流が一番盛んだという。その理由を「交流の歴史の長さに加え、トーレンス市民はボランティア精神が旺盛で、柏からこちらに来ると勇気付けられ、ますます交流を一生懸命やる気持ちが湧いてくる」と語る。

記念イベントの会場に飾られたミコ・ヘンソンさんの遺影の前で語り合ったダナ・ダンラップTSCA会長(左)と小菅あけみKIRA会長

 小菅会長は両都市の交流を発展させた最大の貢献者はヘンソンさんだったとし、「ミコ(ヘンソン)さんがいたから、50年やってくることができた。ミコさんは姉妹都市協会を作っただけではなく、限られた人数の日米16人の派遣・交流に満足することなく『市民同士の交流』を強く主張していた」と振り返り、リーダーシップを発揮し、草の根交流からスタートし、両市民の活発な交流を実現させた功績を称賛した。
 小菅会長がヘンソンさんと50周年の記念行事に向け準備を進める中で誓い合ったことは「1年を通して50周年の記念行事を行い、これまで派遣したプログラム参加者だけでなく、50周年記念を新しい交流のチャンスにしよう」ということだった。意気込んでいたが、ミコさんはその後、病気で倒れ50周年記念を前に昨年亡くなった。小菅会長は「ミコさんの遺志を受け継いでいきたい」と、決意を新たにしている。
 コロナ禍により、交換プログラムは2020年から活動を中断したが、Zoomを利用し交流を図った。「コロナ禍はよくなかったが、コロナがもたらしたインターネットの効用は素晴らしく、とてもクリエイティブなことができるので、これからの新たな国際交流につながる」と力を込める。2年滞っていた生徒の派遣は、コロナの感染者数が減少傾向になったことから昨夏、柏での生徒の受け入れを再開した。ホームステイはできなかったが、ボランティアが歓待し、学校見学で生徒と交流し、東京見物などを楽しんだという。
 昨夏は柏からの米派遣は見送ったため、両市は今夏予定する3年ぶりの本格的なプログラム再開に意欲を示している。準備を着々と進めており、トーレンスからは既に11人の応募があるという。まず、柏まつりが催される7月にトーレンスから生徒が訪日し、8月には柏から訪米する。
 小菅会長は、次の50年に向け「これまでの柏とトーレンスの姉妹都市の活動を知らない多くの人に、この50周年記念を機にどれだけいいプログラムなのかを知らせたい」と、抱負を述べた。一方、交流の課題として「若い会員が少ない」と述べ、これまでの50年の活動の担い手が高齢化しシニアになったため「若い人にバトンタッチをする方法を工夫して考えたい」と語った。

友好祭で50年の節目祝う
芸達者の元交換学生が出演

オペラの歌曲を熱唱した大岡多美子さん

 アームストロング劇場で「友好祭」と題して開いたコンサートでは、コーラスやオペラ、米民謡、英語の落語、和太鼓演奏などが演じられた。出演者のほとんどが、かつてプログラムに参加した芸達者の元交換学生で、集まった約400人の観衆を魅了した。
 オペラの歌曲を熱唱した大岡多美子さんは、80年のプログラム参加者。米系の金融会社に勤務するかたわらで、趣味で舞台に立っている。歌唱前のあいさつでは「交換学生プログラムは、私の人生を変えた。この夜の出演を頼まれたが、断る理由はなかった。今日の舞台は、天国のミコさんにささげたい」と述べ、美声を会場のすみずみにまで響かせた。
 大岡さんは、当時のプログラムを振り返り「トーレンスに来て皆さんにお世話になって英語を勉強する気になったことが、その後の留学の動機になった」と述べた。英語習得でキャリアアップにつなげ、1990年からは一時、家族と米国に移住したこともある。このたびの記念行事参加のためトーレンスに戻ったが「40年ぶりに会った人でも少しもタイムラグがなく、生涯の友という感じがした。今は東京在住のため、姉妹都市のプログラムに関わっていないが、本当にいいプログラムなので、この50周年を機にボランティアを始めたい」と語った。

英語の落語で観客を笑わせた立川志の春さん

 落語家の立川志の春さんは、イェール大を卒業後、大手の会社に勤めたが辞め、立川志の輔に師事し落語家に転身した異色の経歴の持ち主。海外公演では、英語の落語を披露している。この夜の舞台では、93年に訪れたトーレンスの思い出を話し、親日家が多い観衆を前に日本の食文化などを盛り込んだ古典落語を披露し、会場を爆笑の渦に包んだ。「米国のお客さんのノリの良さを久しぶりに感じ、すごくやっていて楽しかった。ミコさんに出演を依頼されたことはとても光栄だった」と話した。姉妹都市のプログムについは「50年続いたことは、すごいこと。毎年、これからも続けてもらいたい」と、エールを送った。

出演者全員が舞台に上がりあいさつし、三本締めで友好祭は幕を閉じた

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