利休居士の軸がかけられた床の前で進行するお点前
指導者部による「花寄せ」で花入れに花を入れていく様子

 裏千家淡交会ロサンゼルス協会が日蓮米国別院で利休居士の遺徳をしのぶ「利休忌」を行った。利休忌とは戦国時代から安土桃山時代にかけて生き、極限まで無駄を省く「わび茶」という茶の湯の様式を追求・完成させた千家茶道の始祖で千利休の名で知られる利休居士(1591年没)をしのぶ行事。毎年行われるが、当地ではコロナ禍を経て4年ぶりに対面のみで開催した。ロサンゼルスのみならずオレンジ郡やサンディエゴ、アリゾナ州からも足を運んだ会員ら86人が参加した。
 まず花入れに花を入れていく「花寄せ」を行い、指導者部のジョンズ宗康さん、森上宗豊さん、ガルシア宗勇さん、チャーノフ宗元さん、大島宗治さんが数々の花器に順々と季節の花をさし、造形を完成させた。

会員有志手作りの菓子「花筏(はないかだ)」を振る舞った

 中田宗恵社中のキャリガー宗美さんが亭主を、ピトリックダミアンさんが半東を担当して、仏前に供える「供茶(くちゃ)」をたてた。床の間には利休居士の面影をしのぶ軸がかけられており、一わんを床に献上して、故人に思いをはせた。正客にロビンソン宗心さん、次客に河村宗津さん、三客にカング宗慶さんを迎えた。
 続いて、進行の一挙一動を見守った客席の参加者に、同会の会員有志が手作りした菓子「花筏(はないかだ)」とお茶を振る舞った。同会によると花筏は利休忌に出される定番のお菓子で、花筏という言葉が表すのは散った桜の花びらが水面に漂う晩春の風情だが、それだけでなく、その裏には「亡くなった人が早く極楽浄土に流れて行けるように」という昔の人々の考えが秘められているという。
 今年の利休忌にはこれまでにないほど多くの参加者があり、特に若い世代の新しい会員が増えたことが「うれしい」と阿部宗真幹事長。支部会員の多くが日本語を話さないローカルの人々になってきていることから進行は英語で行われた。

講演を行うウイリアムズ・隆賢・ ダンカン博士

 利休忌に続いて、禅僧侶で南カリフォルニア大学教授、著述家のウイリアムズ・隆賢・ ダンカン博士が「ただ、在る 禅僧侶がわびさびに思う事」と題する講義を行い、あらためて利休居士の「わび茶」の考えを学ぶ機会を提供した。
 ダンカン氏によれば茶道と禅には「手放す(Letting go)」という共通の観念がある。精神を集中させ執着を手放し無の境地に至るために心を整える禅と、茶道の奥にある精神性。ダンカン氏に茶道と禅の関係について尋ねると「茶道はメディテーションの形の一つだと常日ごろ思っている」との答えが返ってきた。

亭主のキャリガー宗美さん、半東のピトリックダミアンさんに大きな拍手を贈る参加者

 阿部幹事長は、利休忌は利休居士をしのぶ命日の行事というだけでなく、利休居士が唱えた「和敬清寂」について学ぶ場であり、「友情や思いやりを学ぶ、一期一会の機会だ」と強調する。
 花筏に秘められた先人の心以外にも、利休が愛した黄色の菜の花を飾ったことや、米国で茶道を広めた故松本宗静師の庭の、メープルの木枝から切り出した茶しゃくを使用したことまで、「すべてのことに意味が込められている」と阿部幹事長は言う。そしてこのような茶道文化を「米国の次の世代の人々に伝えていきたい」と述べた。「和敬清寂」—この言葉は英語に直せば「Harmony」「Respect」「Purity」「Tranquility」の4語になる。(長井智子、写真も)

利休忌を無事に終えた会員。前列左から3人目が阿部宗真幹事長、右端がロバート堀会長

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