子どもの頃のことを思い出してしまった。納得できる説明のないまま、理不尽な教師たちの命令や校則に従わなくてはならなかったことである。そんな嫌な思い出として残っている感覚を、保護猫の里親になるプロセスで感じるとは想像していなかった。
 もともと猫が好きで、いつか飼いたいと思っていた。知り合いが保護猫を譲り受けて育てている話を聞いて、私も自治体や保護団体が主催する譲渡会に参加したり、里親募集のウェブサイトを眺めたりするようになった。
 保護主たちは猫たちがもう二度と捨てられることのないように、残りの猫生を幸せに暮らしていけるように、と願って活動している。虐待されないか、経済的な理由で病院に連れて行ってもらえないことはないか、里親を厳選しないとならないわけだ。大切な命を預かる里親は彼らの世話をして共に生きていくことをしっかり覚悟しなくてはならない。
 保護主たちの気持ちはよく分かった。ただ、保護主によって設ける条件が実にさまざまだった。猫も長寿になり年齢制限を設けているのは理解できる。一方で、単身者不可、同棲カップル不可、共働き夫婦不可、収入など個人情報の提出、部屋の確認、インスタへの投稿、きょうだい2匹や3匹一緒の譲渡限定などなど、疑問に思うものや明らかにハードルを上げていると思える条件もあった。
 保護猫への愛情が度を超えて「気にいる人にしか譲渡しない」というエゴが見え隠れしているようにも見えるし、保護主の考えに左右される保護猫は果たして幸せなのだろうかとも思った。中には無責任な里親がいることも事実のようだが、里親がなかなか見つからない子がたくさんいることもまた事実であった。
 結局、私は考えが理性的と思える保護主と出会い、生後2カ月の雄の茶トラを譲り受けた。部屋中を走り回ったり、と思ったら急に充電切れのように寝落ちしたりと見ていて楽しい。今はこの記事を書いている私の膝でスヤスヤ眠っている。
 何が正しいかは分からないし今もモヤモヤは残る。ただ純粋に、人間も猫も理不尽な条件に振り回され過ぎず、1匹でも多くの子に早く家族が見つかり、互いに幸せに暮らせることを願うばかりだ。(中西奈緒)

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