コレステロール値を下げるための薬を服用する母を見て、「動物性の物を食べなければ、薬は要らないよ」と長女が言った。なるほど。そう思いながらも、食べたい物を食べることが健康法だと思っている僕は何も言えなかった。
 僕は好き嫌いがなく、何でも食べるし、おいしいと感じる。一番好きな飲み物は水だが、お酒もソフトドリンクもなんでも好き。そもそも子どもの頃から「食べ物を粗末にするな」としつけられて育ったので、食べ過ぎてしまう傾向があるくらいだ。
 しかし、長女は完全な菜食主義者。肉や魚に加えて、乳製品も食さない。先月、次女と3人で暑い日本の夏を数日ほど一緒に過ごしたが、ヘアーサロンはビーガン、着るものもビーガン、食べ物も言うまでもなくビーガン。次女と私は何でも食べられるのだが、これでは対応しているレストランやカフェを探すのが大変かと心配したが、最近は本当に便利で、アプリを使うとビーガン店のリストが出てきて、都会ではさほど不自由することはなかった。また、ビーガン店がそこまで増えている事実にも正直驚いた。
 京都で、あるビーガン・カフェに入店したら、オーナーらしき人が出てきて、おもむろに「当店は化学製品を一切使用していないので、ハンドサニタイザーなど使用できませんが、よろしいでしょうか?」と言ってきた。特に使う必要もないので、着席してビーガン料理を頂いた後、店を出たが、もし使っていたら店で飲食すらできなかったのか。日本でもこだわりの店が増えてきていることを実感した。
 人間にとって必要不可欠な食において、菜食者と肉食者が、どうやって同じテーブルを囲んで楽しくやっていけるのか、考えてみると非常に大きな問題に思える。世界が多様化していくと、さまざまな立場の人たちが自分たちの居場所を確保し権利を主張する。同時に他者を理解し、尊重しないと亀裂が生じる。われわれはこうした自他との違いを個性として認め、お互いを尊重し、思いやりを持って接していかないといけない。そのためにも必要なのは心のゆとり。空を見上げる余裕かな。(河野 洋)

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