
羅府國誠流詩吟会はこのほど、創立80周年を記念する祝賀吟詠大会を開催した。同会は第2次世界大戦中の1942年、日本人と日系米国人が送られた強制収容所の一つマンザナーで「詩吟教室」として発祥し、悲嘆にくれる収容者に日本古来の伝統芸能である詩吟をもたらし、希望と力を与えたことで知られる詩吟会である。
初代宗家荒國誠師の下、収容所で生徒は詩吟に打ち込み、教室はツールレークやテキサス州クリスタルシティーの収容所にも派生したという。終戦後の解放で散り散りになり、創始者の荒師も日本に帰国したが、ロサンゼルスに戻った弟子が詩吟会を再開し、後に羅府國誠流詩吟会と改名して今日に至る。現会長の岩井国凉さんは第21代会長。暦の上では昨年が80周年だがコロナ禍により1年遅れての開催となった。

吟詠大会は日本から現宗家の2代目荒國誠師を迎え小東京のダブルツリーホテルで開かれた。式典のあいさつで岩井会長は「これからも詩吟を通して日本の伝統文化芸術を地域に広めていきたい。当会のモットーである『至誠』と『和』をもって会の発展に努力する」と誓った。吟詠はロサンゼルスの会員に加え、サンフランシスコ、バークレー、バンクーバー、ハワイ、ラスベガス、ポートランド、シアトル、ブラジル、そして日本から出席した来賓が吟じ、さらに同会の80年の歩みを構成吟「報恩謝徳の心、今、明日に向かって…」に演出して披露した。
この日、國誠流詩吟会はカリフォルニア州議会から感謝状を授与され、州下院議員のアル・ムラツチ氏が賞状を手渡した。ムラツチ氏は会場の壁面に並ぶ詩吟会支部の団旗を愛でながら広域にわたる同会の活動を賞賛し、92歳の父、村土國源氏がシアトル國誠流詩吟会で詩吟を学んでおり、祝賀大会にも出席していることを紹介した。「ある吟者が『詩吟のおかげで生きている』と仰っていたが、詩吟には力があると私も確信する。心を込めて吟じる皆さんの姿に感動した」と、日本語を交えながら話し、大きな拍手を浴びた。 戦後日本に帰国した荒師を宗家として、國誠流詩吟会は米国内の各地、カナダやブラジルに輪を広げた。97年に宗家を襲名した現宗家・2代目荒國誠師は頻繁に海外に出張し、講習会を重ね、海外会員の指導に並々ならぬ努力を注いでいる。このたびのロサンゼルスでも祝賀大会と式典にとどまらず連盟総会、師範講習会、一般講習会、資格審査、祝賀夕食会、州外講習など過密なスケジュールが続き、会員と共にマンザナー収容所跡地を訪ねて「会発祥の歴史」に思いを馳せる日程も組み込まれている。
「初代宗家は大叔父に当たる」と話す荒師は、幼少時代から詩吟に触れながら育ったという。「直弟子としては私が先代の末弟で、子どもの頃は『やらされていた』のかもしれないが、日本の『門前の小僧…(習わぬ経を読む)』のことわざにもあるように、詩吟が染みついていた」と振り返る。國誠流詩吟会については、会員の結び付きが「日本の他の詩吟会がうらやむほど」強いことを挙げ、「先代が残した財産なので、私も、少なくとも私が生きている限り守り抜きたいと誓っている」と話す。
日本への郷愁や日本人のアイデンティティーを強く意識する海外詩吟会員の伝統と強い結び付き。それは、初代宗家が声楽家として米国に在留していた折に収監された「マンザナー」で発祥したという、同会の持つ特別な背景にも起因する。米国に住み続けたにせよ、日本に帰国したにせよ、泰明期の会員は日系人収容体験を共有していた。荒師はそれを形容して「単なる趣味の会ではない。横のつながりがとても強い」と強調する。「各地に広がった会の連絡一つをとっても、今でこそ電子メールなどがあるが、不便な昔の時代でも活発だった」と話す。最盛期には羅府詩吟会会員が300人を超えたという、その繁栄の背景である。
日系人収容の苦労話について初代の荒師から聞いたことはあるかと尋ねると、「先代は一切、私にそういう話はしなかった」と言うが、「当時を体験した先生たちが各地に多くいらして、当時の逸話を聞いた」と振り返った。

「要するに当会はつながりが根強く、縦糸と横糸がしっかりしている。2種類の糸がしっかりと組み合うと立派な会ができる。横一方でみんな仲良くばかりだと軟弱に、上下関係は大切だと思うが縦ばかりではぱっとさけてしまう。うまく組み合わさって初めて、本当に一つの強靭(きょうじん)なつながりが出来上がると思う」と総括した。
詩吟人口は日本でも年々減っており、どこの流派もたとえかつて1万人の会員を有したほどの会であっても会員減少にあるという。さらにコロナ禍が襲いかかり、荒師は「詩吟ができず、その間に本当に多くの方が亡くなったことは残念だった」と惜しんだ。
かつて収容所に日本の心をもたらした國誠流詩吟会も、会員は収容体験者の世代から次の世代へと移り、2世の会員や日本語の読み書きが苦手な会員もいる時代となっている。荒師は詩吟の将来について、他分野の太鼓、書道、茶道、華道、踊りなどとのコラボや、若者による迫力のある吟など、見せ方の工夫や新しい魅力への挑戦が必要だとする一方で、「日本語を理解することは必ずしも必要でない」と考える。その理由としてイタリア語のオペラを日本人が聞いて感動する例を挙げる。詩吟はもともと漢詩であり、李白や杜甫などが作った元来の作品は韻を踏み耳に美しく作られており、「それが素晴らしく吟じられた時、中国語の意味が分からなくても感動する」と、詩吟の芸術性を説明する。初代宗家が声楽家だったという事実と合わせれば、詩吟とは声の芸術であり、日本語を理解しない人を魅了することもできるという無限の可能性が理解できる。
漢詩を吟ずる文化は現代の中国では既に失われているというが、日本には日本語に翻訳された漢詩、和歌、俳句などを吟じる文化が続いている。 マンザナーは荒野の中にあったが、現在のわれわれの精神の在りかが荒野でないとは言い切れない。詩吟に詠われる気高さや魂の高潔さを感じることは、日本人の精神性に触れる方法として貴重である。 (長井智子、写真も)

