乾杯する浜野代表(右から2人目)と他県人会などからの来賓
あいさつに立つ浜野好春代表

 今年で創立119年目の南加静岡県人会(浜野好春代表)はこのほど、トーレンスの都ハイブリッドホテルで総会・新年会を開催した。日本総領事館から青島尚重首席領事、南加日系商工会議所から竹花晴夫会頭と副会頭のグレース・シバさん、他県では関西クラブ、熊本、島根の県人会からの来賓を加えて48人が新年を祝った。
 総会では物故者および能登半島地震被災者に黙とうをささげた後、各種報告を行った。理事は今期全員が留任した。また、最年長会員で102歳のシグ(シゲル)・ミヤさんの長寿を祝った。1921年12月14日生まれのミヤさんは米国の盆栽の父とうたわれる故ジョン・ナカ氏の弟子で、「盆栽マスター」として知られている。ミヤさんは米国生まれだが、家族は静岡県三保の出身だという。司会の佐々木志保さんが「いつまでも会の長兄としてお元気でいてください」とメッセージを贈った。同県人会の会員でもあるシバさんの音頭で乾杯し、その後は昼食を楽しんだ。
 エンターテインメントは音楽家・小澤奈緒美さんと作曲家・福島愛子さんがステージに上がった。小澤さんのオーボエと福島さんのキーボードによる演奏、小澤さんの娘の藍綸(あいり)さんと福島さんの娘の里菜(りな)さんのバイオリン演奏を交えてクラシック音楽を披露したり、福島さんが指導する「エルマリノ日本語児童合唱団」が日本の歌を歌ったりした。合唱団の子どもたちは日本語エマージョン教育を行うカルバーシティーのエルマリノ小学校に通っており、日本語を母国語としない子どもたちだ。最後は、小澤さんが三味線を取り出し合唱団の子どもたちと一緒に演奏した。「ずっと西洋音楽のクラシック畑だったが、近年、日本の良さ、大事さに気が付いて民謡を始めた」と話す小澤さんは、静岡県の民謡「ちゃっきりぶし」を披露。子どもたちが元気に「ちゃっきり、ちゃっきり、ちゃっきりよ」と合いの手を入れると、あまりのかわいらしさに観客から笑みがこぼれた。

元気な姿を見せた会最年長会員の102歳のシグ・ミヤさん(中央)

 浜松出身の小澤さんは「20年以上ロサンゼルスに住んでいるが静岡県人会に参加したのは初めて。これまで同県出身の方と会いたいと思っていたが、本日こんなにも多くの方々がいらしてうれしい」と話した。また、掛川出身の福島さんは「これまで静岡県人会があるのを知らず、他の県人会はあるのに静岡県はないのかしらと思っていたところに、小澤さんから出演の声掛けをいただき驚いた」と述べ、合唱団の子どもたちの親の中にも同県出身者がいて、日本の小学校の体験入学を静岡県で経験している子どもがいることを紹介した。母県・静岡のつながりの輪に温かく迎え入れられ、出演者は珠玉の演奏を披露した。
 その後はテーブルごとに対戦する「静岡県クイズ」やラッフル抽選で盛り上がった。
 静岡県人会は前出の小澤さんをはじめ今年6人の新会員を迎えたという。そのうちの1人の齋藤睦さんも、小澤さんや福島さんと同年代の子育て世代の女性で、入会の動機を「周囲に県人会に入っている人がいて、私も同郷の人と会いたいと思った」と話す。

小澤奈緒美さんの三味線演奏で歌うエルマリノ日本語児童合唱団

 現在、同県人会の会員総数は150人ほど。浜野代表は最近の会の運営について、頼りにしていた会の牽引者が日本への帰国や他州への引っ越しでいなくなったことから、「会は残りの者で形を作っていこうとしているところ」と引き継ぎの難しさを吐露した。とはいえ歴史ある県人会を終わらせるわけにはいかないという気概を見せ、「今回は新しい接点が生まれたと思う」と今後への意欲を示した。
 今米国に住む日本からの永住者、いわゆる新1世と呼ばれる人たちは、県人会が創設された100年前の人々と異なり多くの情報を持ち、また、被爆や強制収容という戦争のトラウマを抱えることもない人たちだ。だが多様性が重視される現代社会の中でも、帰属意識や帰巣本能は心の奥底にあり、「ふるさと」を共有する人々と出会える場が県人会であることは変わらない。そして米国の県人会は「母県」という接点をキーワードに、世代や背景の異なるさまざま人々と出会える唯一無二の場所である。そのことにもっと多くの人が気が付いたら、各県人会が課題とする「新会員の獲得」へ追い風となりそうだ。
 新しい体制を模索する静岡県人会は6年後に来る大きな節目の125周年を目指し、新会員を迎えながら盤石の体制を作り上げていくことだろう。 (長井智子、写真も)

南加静岡県人会の新年会で親睦を深めたメンバーら

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