荷物がすっかり運び出されて、目につくような大きなごみはきれいに掃除された通称ウエアハウス、実際には4分の1がストーレッジで、残りが多目的のスペース。コミュニティーの催しや子どもたちの日本語学習を含む日本文化教室や図書館、壁沿いにきちんと並べられ日系歴史資料が保管されていたキャビネット、全てが幻のように消えて、むき出しの壁と柱が残った。和太鼓の道場だったこともあれば日本舞踊のお稽古場だったこともある。ホリデーシーズンのイベントのもみ合うような人出、チキン照り焼きの香ばしい香り、この空間に立って、消えてしまったものを思い浮かべていると、背後から声がした。
 「こんなに広かったんですねぇ」
 よくボランティアをしてくれたAさんだ。彼女もこの建物に、お別れに来てくれたらしい。
 そこに物があり人が動いているときは気が付かない空間の広さが現実となってAさんと私を包んでいる。
 創立以来78年近い歴史のうち53年間、シカゴ定住者会館は4427北クラーク街にあって、コミュニティーの中心として、シニアのデイケアサービス、ホームメーカーの派遣、シニアへの昼食サービス、カウンセリング、日本文化教室など、いろいろな活動を続けてきた。私がこの団体で仕事を始めてから25年になる。何度も引退を考えながら、コミュニティーの人々に関わる仕事が楽しくて気が付けば4半世紀、組織は建物の老朽化を理由に新しい場所に移ることになった。アダルト・デイケアや子どもたちのバイリンガル文化教室は日系のキリスト教会や仏教会に間借りをし、オフィスの職員は新しいセンターが完成するまで自宅勤務でプログラムを継続する。
 空っぽになったオフィスや催し会場や教室を見ているうちに、涙が出そうだった。名残惜しさが、少しづつ薄れてゆくのを感じた。そこで活躍していた人々の声や姿がなくなり、プログラムそのものが消えた時、この建物は古い大きな空っぽの箱となり、その代わり私の中に、去っていった同僚や上司、プログラムに参加した人々との出来事など懐かしい思い出がいっぱいに膨れ上がってきた。
 私も相当老朽化してきたようだ。(川口加代子)

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