その日はめずらしく早く帰宅した父の機嫌が良かったのか、夏休みにどこかに連れて行くと言い出しました。それも、行きたいところは兄弟でジャンケンして決めろと言う。そこで幼かった私は「田舎の川」と言い、兄は「大阪万博に行きたい」と言いました。正直言ってどちらでも良かったのですが、3回ともにジャンケンに勝ったのは私でした。兄は悔しがりましたが、万博に行かないことで未来の見学を閉ざしたことは、後になっての後悔となりました。
そんな思いもあったのか、つくば万博や、愛知万博、上海万博でさえも積極的に出かけて、世界をそして未来を見ることができました。私にとって万博は世界旅行と同じです。世界が一堂に集まり、体験するのです。万博を開催する目的は、「未来を披露する」というのは昔の話で、現在は「地球規模の課題の解決」です。
大阪・関西万博のシンボルである木製の大屋根リングからは、世界中のパビリオンを見ることができます。誰が決めたのか、米国の隣にはフランスや中国パビリオンがあります。小世界では、隣国を敬うようにという意図なのかもしれません。ウクライナのブースには飾り棚が設けられ、NOT FOR SALEと書いてありました。声なき声の展示です。私たちの領土は、武力や交渉で切り取られる商品ではないという悲痛な叫びを感じました。
大屋根リングは、俯瞰(ふかん)する丸い地球のようでした。国ごとにさまざまな個性や文化や様相があり、その間を多くの人が行き交います。入場を待つ人々の顔には未来を見たいと期待する様子があり、出てくる人の瞳には輝きがありました。万博には理想の未来が詰まっています。本当の世界で起こっている怒りや不安や飢餓は、そこにはありません。それが本来の地球の姿なのかもしれません。本当は誰も争い事をしたい訳ではないのです。隣国がどこであっても、支え合い、分かち合い、喜び合いたいのではないでしょうか。世界を見て、未来を感じ、地球の課題を解決することができる万博は、本来の地球を思い出すためにも、大切な期間だと感じました。(アサクラ ユウマ)
