1958年の邦楽公演。米国で活動した9代目家元杵屋彌十郎(プログラムの中の写真右)や、5代目家元三條勘弥(同左)らが戦後のロサンゼルスの邦楽界を活気付けた

 1973年、私が初めてロサンゼルスの地を踏んだ時、日系人コミュニティーの文化的な豊かさに驚かされました。戦後すでに30年近くがたっていましたが、日本文化は大変に盛んで、踊りも長唄も頻繁に発表会が催されていました。
 皆さまご存じのように、日系人は戦争中、強制収容所に送られるというつらい経験をしましたが、過酷な環境の中でも人々は支え合い、文化や生活を守ろうと努力しました。日本文化や行事、伝統芸能は工夫して継承されました。
 戦後は特にお寺が重要な役割を果たしました。昼も夜も働く親の代わりに子どもたちを守り、文化を守ってきたのです。この基盤があったからこそ、73年当時のロサンゼルスでは日本文化があれほど盛んだったのでしょう。
 私がロサンゼルスを離れる77年秋まで、本当に忙しく過ごしました。その後、ベルギーに滞在し、81年に米国に戻りました。ちょうどロサンゼルスの邦楽界が黄金期を迎えており、私の拠点はシカゴでしたが、頻繁にロサンゼルスの演奏会に出演させていただくようになりました。

80年代にはロサンゼルスで盛んに邦楽の公演が行われた。今に残る1989年のパンフレット

 当時の活況ぶりは目覚ましいものがありました。大和やそよさんは杵屋弥曽代として、私は杵屋吉三郎門下として、その繁栄期を体験しました。他にも大きな長唄グループがいくつもあり、それぞれから大勢の名取も生まれました。
 踊りの世界も華やかでした。藤間勘須磨師、若柳久三師、坂東三津拡師、藤間千勢絵師など、多くの舞踊家がロサンゼルスの邦楽界をにぎわせていました。
 また、それらを一つにまとめ上げていたのが、お囃子の堅田喜久師(三世)でした。80年代初頭にUCLAの依頼で訪れて以来、米国堅田会を結成して20年以上にわたってロサンゼルスで会を行い、複数の長唄グループと舞踊家たちが素晴らしい舞台を繰り広げました。
 しかし、90年代から状況は一変しました。バブル崩壊が始まり、日系企業が大きな痛手を受け、邦楽界にも陰りが見え始めました。それでも2000年頃まではロサンゼルス邦楽界を築き上げてきた師匠たちが健在で、活動を続けていました。ところが師匠たちが相次いで引退・他界すると、邦楽界は本格的に衰退し、途絶えそうになったのです。
 その中で、邦楽を存続させようと頑張ってくれていた人々がいました。1999年に民謡の佐藤松豊さんが「大和楽USA」をスタートさせ、長唄の名取も加わり活動を広げました。2008年には大規模な大和楽の公演が実現し、多くの人がその舞台に集まりました。
 また、長きにわたり長唄と大和楽を維持してきたのが大和やそよ(杵屋弥曽代)さんでした。長唄では複数のグループが一つにまとまり「四季の会」を結成しました。
 私は2012年、ニューヨークから、この新しい流れに加わりました。当初お囃子(堅田喜巳扇)で参加し、その後正式に大和杏笙の名前を頂き、大和楽USAの活動に参加するようになりました。
 今年11月2日に17年ぶりに行われる大きな大和楽コンサートでは、このような歴史を背景として実現するものです。長い間途絶えていた本格的な日本の古典芸能が、ロサンゼルスに戻ってくるのです。指導者や演奏者の高齢化も重なり、ロサンゼルスの邦楽界は先行きが閉ざされそうになりました。けれども、長い空白の時代を経て、いま再び新しい舞台が開かれようとしています。今回の舞台には多くの若者も立ちます。日本にルーツを持たない米国人の演奏者も加わっています。そして、この公演を支えるために日本から訪米する大和楽の大和櫻笙家元、堅田流の四世堅田喜三久家元の両氏は、日本邦楽界の潮流を担う新世代の家元たちです。
 次回は、大和楽そのものについて、そして11月2日のコンサートについてお話しいたします。(第3回に続く)

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