羅府コラムニスト小川弘子さんの音楽エッセー

 いつ頃からか、よく目に耳にするようになった言葉に、「毒親(どくおや)」があります。これは、米国人セラピスト、スーザン・フォワードの1989年の著作「トキシック・ペアレンツ」に由来し、10年後に毎日新聞出版が刊行した和訳が「毒になる親」という題名だったことから、それが省略されて「毒親」となりました。その後、この言葉はこの本のことを表すだけでなく、過干渉、過保護、無関心、心理的攻撃、支配、暴力などで子どもに害を与える親そのものを表す単語として、一般的に使用されるようになりました。ただ、それ以前にはこのような親を表す単語がなかっただけで、「毒親」がいなかったわけではありません。

 毎年元日に、音楽の都ウィーンで開催され世界各国で放映される、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサート。ヨハン・シュトラウス二世をはじめとする、優雅なワルツや軽やかなポルカが演奏され、毎年アンコールに「美しく青きドナウ」に演奏された後に、コンサートを締めくくるのは、ヨハン・シュトラウス一世の「ラデツキー行進曲」です。あれ? これと毒親は一体どう関係あるの?と思われましたか。ヨハン・シュトラウス一世(「ワルツの父」)とヨハン・シュトラウス二世(「ワルツ王」)は親子、父と長男です。そう、ご想像の通り、この父は、毒親だったのです。以下、分かりやすくするために、一世を「父」、二世を「子」とします。

 「父」(1804〜49)は、小さな酒場付きの大衆的な宿屋を営む両親のもとに生まれ、独学で音楽の道を志しました。後にヴァイオリンと作曲を高名な音楽教師の下で学び、若くして楽団に入り、そこで知り合った仲間と共に独立、その後、自らの楽団を結成して作曲家、指揮者となり、宮廷舞踏会指揮者にも任命され名声をとどろかせました。その一方で、6人もの子をなしたにもかかわらず家庭を顧みることはなく、家にお金も入れず早々に愛人のもとに走ったという裏の顔を持っていました。

 「父」は、自分が音楽家として非常に苦労した経験から、子どもたちが音楽を学ぶことに大反対でした。最初は、子どもたちの安定した将来を願う、親としての当然の気持ちからだったのでしょう。名だたる作曲家の中でも、親の反対を押し切ってという人は少なくありません。ところが、この「父」は、「子」(1825〜99)が隠れて練習していたヴァイオリンをたたき壊すという暴挙に及びました。それでもあきらめずに勉強を重ねた「子」が19歳で自らの楽団を作ろうとした時に、「父」は自らの音楽界での力を利用して、楽団員を解雇したり、新聞社に「子」の悪評を書かせたりといった、今でいう立派なパワハラまで行ったのです。

 「父」が45歳で亡くなるまでの約6年間は、「父」と「子」の二つの楽団の間で、つぶし合いのような状態であったともいわれています。「父」は「子」に負けられないというプライドが、「子」は「父」に負けてたまるかというハングリー精神が、優雅なワルツの裏で渦巻いていたのでしょう。

 「父」は、「子」を支配し、心理的に攻撃し、過干渉なのに、愛人を作り家族を捨てるというという、典型的な「毒親」だったと言っても過言ではないでしょう。ただ、そのことと「父」の音楽家としての評価は、全く別のことですので、念のため。

おがわ・ひろこ


神戸大学教育学部音楽科卒、同大学院修士課程修了。声楽、器楽、合唱、バレエなどのピアノ伴奏者、および合唱指導者。現在、南加日系合唱連盟会長。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。

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