
2022年にフランスで公開されてから、アメリカで上映されるのを待ち、それがダメならオンラインのストリーミングでも見られないかと探し続けていた映画「テナー」(邦題「テノール! 人生はハーモニー」)を、ついにオンラインで見られるようになりました。さまざまなジャンルの歌があふれるヒューマンドラマです。
ラッパーのアントワーヌは、アルバイトとして働くすし屋でのデリバリーで出会ったマリー・ロワゾー先生にオペラ歌手としての可能性を見出され、それまでとは全く違った「場所」で生きることになり…というお話しです。
私は全く知らなかったのですが、主人公アントワーヌを演じたMB14は、ラップやヒップホップとしては世界的な大スターだそうで、動画は何百万回、中には3千万回以上再生されているものもあるほどです。16年にリアリティー歌番組「ザ・ヴォイス・フランス」第5シーズンで準優勝し、ちょうどその時、ラップとオペラの両方を歌える人を探していた、この映画の監督とプロデューサーがこの番組を見て、MB14を映画のオーディションへ招待したのが全ての始まりでした。
MB14は、オペラもその他のクラシック音楽も好きで、この映画の出演が決まるより以前からよく聴いていたそうです。とはいっても、オペラを歌うのは全く初めてのことで、撮影が始まる前から撮影中にかけて、数カ月にわたり、週に3回から4回のレッスンを受けたとか。オペラ歌手が何年も何十年もかけてトレーニングするのに比べると、ほんのわずかな期間ですが、映画の中での歌唱部分は、いわゆる「口パク」ではなく、全てMB14本人が歌っているのですから、立派なものです。何に対しても、上達することが好き、うまくなっていくのを実感することが好きだそうで、努力が苦にならない人なのでしょう。高校生の頃から俳優になりたかったというMB14は、この映画をきっかけに俳優としての活動も広げていきたいと話しています。
もう一つの主役といえるのは、パリのオペラ座ガルニエ宮です。その外観、玄関ホールから大階段、グランホワイエと呼ばれる大広間、豪華絢爛(けんらん)たるシャンデリア、シャガールによる天井画などが、ふんだんに盛り込まれ、私はそれを見ているだけで気分が高揚してしまいました。この映画のためにオペラ座を使用する許可を得るのには、何年もかかったそうですが、その重厚さや豪華さは、本物ならではです。
そして、この映画に華を添えたのは、世界的オペラ歌手、フランス人テナーのロベルト・アラーニャが、本人役で特別出演していることです。歌う場面もあり、豪華すぎるオマケとなっています。
主人公アントワーヌの暮らしてきた、豊かとはいえない人たちのラップの世界と、ぜいたくなオペラの世界。こんな差別的な描き方をしてよいのか、という批評もあるようですが、そんな中で自分の生き方を模索しながら一歩ずつ進む若者と、彼を支える人たちを描く映画だと、私は思います。
ラップあり、「リゴレット」「椿姫」「蝶々夫人」などオペラの名曲の数々あり、そして、本編が終了した後のキャストやスタッフのクレジットが流れている間は、MB14の歌う「マ・プラス(僕の生きる場所)」と、まさに音楽映画です。映画館の大画面で見られないのは残念ですが、歌の好きな方には、ぜひお勧めしたい作品です。
おがわ・ひろこ
神戸大学教育学部音楽科卒、同大学院修士課程修了。声楽、器楽、合唱、バレエなどのピアノ伴奏者、および合唱指導者。現在、南加日系合唱連盟会長。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。
