羅府コラムニスト小川弘子さんの音楽エッセー

   ロサンゼルスから北西に200マイルほどに位置する、ワインの街パソ・ロブレス。フリーウエー101を挟んで東西にぶどう畑が広がるこの街で、毎年11月に、パデレフスキ・フェスティバルが開催されます。その年の新酒の試飲祭? いえいえ、クラシック音楽の祭典なのです。

 イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860〜1941)は、ポーランド出身のピアニスト、作曲家、政治家、慈善家です。ワルシャワ、ベルリン、ウィーンで、ピアノと作曲を学び、28歳で行ったパリでのデビューコンサートの大成功の後、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、オーストラリアの4大陸で、何千回ものリサイタルを行い、常に熱狂的ファンがコンサートホールに駆けつけるという、スーパースターとなりました。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、リストなど、レパートリーは幅広く、彼の指が紡ぎ出す一つ一つの音の美しさ、音楽性が人々をとりこにしました。その上に、いわゆる、イケメンだったのです。それも、人気の一部だったことは確かなようです。

 特にアメリカは、パデレフスキ自身もとても気に入り、何度も何度もコンサートツアーで訪れ、列車の一部を貸し切りにして、ピアノからベッドまで持ち込み、ゴージャスな旅を楽しんでもいました。沿線で手を振る人、駅に出迎えに来るファン、列車が遅れて開演時間が遅くなろうとも待っていてくれる聴衆。アンコールに次ぐアンコールで、それに答えるパデレフスキ。相思相愛だったのです。

 1914年1月、9回目の全米コンサートツアーの途中、シアトルで体調を崩したうえに右腕の痛みも生じ、知り合いに勧められて、パソ・ロブレスの温泉で療養することになりました。約2カ月の滞在で、すっかりパソ・ロブレスが気に入ったパデレフスキに、担当医が土地を取得することを勧め、約2400エーカーを購入し、ランチョ・サン・イグナシオと名付けました。信頼できるポーランド人をマネジャーとして雇い、アーモンドや果実の果樹園を始めました。自らは、体調の戻った3月半ばに、コンサートツアーを再開し、ヨーロッパに戻りました。

 数年後には、その土地にワイン用のブドウ、ジンファンデルを植え、そのブドウから作ったワインは、33年にはカリフォルニアのステート・フェアで金賞を獲得するなど名声を得るようになりました。そこのことが、パソ・ロブレスのワイン産業全体が注目を集めるきっかけともなり、ロサンゼルス・タイムズに、「彼のジンファンデルは、彼の音楽と同じくらい切望されている」という記事が掲載されたことがあるほどです。

 そんなパデレフスキを記念して、パソ・ロブレスに93年に創設されたのが、パデレフスキ・フェスティバルです。2003年の地震の影響で3回キャンセルになった以外は、20年のコロナウィルスによるパンデミックの期間もオンラインで開催され、現在に至ります。毎年、ピアニストの誕生日である11月6日から3〜4日間、コンサートやマスタークラスなどが行われ、ポーランドから招待された若い音楽家も演奏を披露します。

 スーパースターのピアニストであり、祖国ポーランドの首相兼外務大臣まで務めた政治家であり、世界中で若い音楽家や傷病兵、孤児などのための施設建設ために、コンサート活動で築いた財産を寄付した慈善家でもあるパデレフスキ。パソ・ロブレスのワイン産業においても、忘れてはならないキーパーソンの1人です。

おがわ・ひろこ

神戸大学教育学部音楽科卒、同大学院修士課程修了。声楽、器楽、合唱、バレエなどのピアノ伴奏者、および合唱指導者。現在、南加日系合唱連盟会長。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。

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