最近、英国人から、英国にも「Sorry文化」があると聞いた。
英国人は何でも謝る―という意味ではない。人の前を通る時、店で店員に声をかける時、少し相手の領域に入る時、「Sorry」と一言添える。それは必ずしも謝罪ではなく、「ちょっと失礼します」という小さな気遣いだ。日本語の「すみません」が持つ、謝罪と配慮の中間に近い。
ロサンゼルスに暮らしていると、文化による違いを感じる。米国では自分の意見を明確に伝えることが重視される一方、近年は相手の感情や心理的な境界線を尊重する考え方も広がっている。
その背景の一つとして考えられるのが、1950年代から60~70年代にかけて米国で広がったHuman Potential Movement(人間性開発運動)だ。特にカリフォルニアでは、自分の内面を見つめ、本来の可能性を発見するという思想が広がった。今日のmindfulness、well―being、self―care、emotional intelligenceなどにも、こうした自己探求の流れを見ることができる。
英国の「Sorry」とカリフォルニアで発展した自己探求の思想。一見、別々の文化現象に見える。
しかし、根底には共通する感覚があるのではないか。
それは、人間は一人では生きられないという認識である。
競争や分断が目立つ時代、強い自己主張だけでは社会は動かない。道を譲る時の「Sorry」。相手を思いやる、ほんの一呼吸。そんな小さな心遣いが、人間関係の摩擦を減らしている。
未来の社会を支えるのは、大きな理念だけではない。人と人がすれ違う時の、ほんの一言なのかもしれない。(高濱 賛)
