老老介護をする89歳の父、認知症の米寿の母。子どもの頃、ギターを始めた時も、高校を中退する時も。アメリカを一人旅する時も、外国人と結婚する時も、普通の人がしない選択をした時も、母は「私は放任主義だから」と言いつつも、いつも僕が決めたことを無条件でサポートしてくれた。
人様には迷惑をかけなければ、何をしてもいい、僕の洋(ひろし)という名前は、海のように大きな心を持ち、小さな島国日本を飛び出して、海を渡って活躍できるくらいの人物になってほしいという願いから付けたのだと、昔からよく言っていた。
僕が自動車免許を取得する時、母は49歳だったが、自動車免許教習所に一緒に通い始め、僕より1カ月遅れて、悔しがったものの、立派に免許を取得し、80歳を超えるまで、車を乗っては営業に出かけて、父と一緒に一家を支え、常にポジティブで、元気で、社交的な人だった。
その母が5年前から認知症になり、今年の4月に転倒し圧迫骨折をして、食が細くなり、6月中旬で飲まず食わずを3日続け、急きょ、入院した。点滴により元気を取り戻したが、今もなお24時間の点滴を受けながら、ナーシングホームで生活を続けている。
そんな状況から7月に帰国し、3週間の滞在中、毎日母のお見舞いに通った。その際に母が10年前に意思表明書を残していることが判明。飲食ができなく、話ができなくなったら、人生を十分に全うできたから、延命処置をしないでほしい、と家族や医師に嘆願する内容だった。
一緒にいる母は、若い時の面影はなく、寝たきりの状態だ。まさに本人が予想した状況になってしまった。ある時、母が言った言葉が思い出される。長年、日本を離れ海外生活を送る僕に「洋がいないのは寂しい、洋なんて名前を付けなければよかった」と。母には苦労ばかりかけた。やりたいことをやらせてもらい、それでもずっと支えてくれた母。会話も成立しなくなった寝たきりの母に、「洋だよ、分かる?」と言うと、記憶も曖昧な母は「よう(洋)の洋か」と目を閉じたまま言った。海を超えた息子と母。命は尊い。(河野 洋)
