「シアトル日本語補習学校の55周年記念同窓会を開催」との告知が、地元日本語紙に掲載された。参加の呼びかけは卒業生のほか、かつての教師にも。私は教師として10年以上、夫も時には非常勤で教えたことがあり、懐かしい顔に会えることを期待して2人で参加を申し込んだ。
補習校は元々、日本からの駐在員家族として数年滞在する子どもたちを対象に設置されただけに、これまで在籍した生徒の大半は日本に戻っている。それでも中には、永住予定だった家族や予想外に滞在が延びた家族もあって、まだ子どもたちがシアトルにいるケースも少なくない。時には、いったん家族と一緒に日本に帰ったけれど、大学卒業後に単身シアトルに戻ってきた者もいる。
同窓会には、そんなシアトル在住の卒業生4人がパネリストとして出席し、思い出や経験を語り、出席した補習校の現役高校生にアドバイスを送った。
パネリストは、弁護士、日本語保育園経営、保険会社勤務、不動産会社経営という顔ぶれ。シアトル駐在中の商社マンの父を病気で失ったAさんは、抽選永住権に当選したことで米国に残ると決め、日本語を活用した不動産業に就いたことを話した。シアトルに日本語保育園を設立して35年になるBさんは、孫と日本語で話すことのできない日系高齢者の寂しさを知って、日本語環境での乳幼児保育を志したという。そして、保育園経営で法律・保険・不動産などの専門家が必要な場面では、パネリストとして両脇に座る補習校仲間が大きな助けとなってきたことを繰り返し強調した。
日本に帰る子どものための補習校は、発足から半世紀を過ぎた今、日本に帰らなかった子どもたちのネットワークを地元に生み出している。それはビジネスだけでなく、手術後の補習校仲間に交代で夕食を届けるなど助け合いの絆にも表れている。
いわゆる企業戦士の子どものために設立された補習校が副産物として生み出した、日米両語を駆使して地元で活躍する新世代。年齢を重ねるにつれ、付け焼き刃の英語から日本語の頭に戻りつつある私と夫にとって、彼らの存在はなんと頼もしく思えることか。会に出席しての気付きだった。(楠瀬明子)
