日米の知人二人の出版した本を、最近立て続けに手にした。いずれも使命感に駆られて綴った作品だ。
 「息子に伝えたいから」と『降っても晴れても』を幻冬舎ルネッサンスから出版したのは、シアトル郊外に住む菅沼愛子さん。日本の商社員家族として親子3人でポートランドに1度、シアトルに2度の駐在。2度目のシアトル勤務半ばに夫は病に倒れ、40代で亡くなった。夫死後もアメリカに残ろうと彼女が奔走したのは、息子のためだ。ひとり息子は腕の一部を欠損して東京で生まれた。息子ひとりを全力で、かつ甘やかすことなくすべて自力で出来るよう育てることに決めた菅沼夫妻は、息子はアメリカで教育をと願っていた。しかし、夫を失ってアメリカに住み続けるにはビザが要る。教員資格を生かして日本語教師をすることなどで滞在は可能になったものの、ジャパンバッシングが目立ち始めた80年代後半、シアトル日本語補習校で運動会練習を指導中だった彼女の顔面に空気銃が打ち込まれた・・・。
 東京・昭島の西川知恵子さんは、「亡くなった母との約束を果たしたい」と『フィラデルフィアへのシルクロード』(けやき出版)に取り組んだ。都内屈指の製糸会社の創業者だった曽祖父は、フィラデルフィアでの博覧会でグランプリに輝きながらも授賞式にはけがのため出席できなかった。その曽祖父に代わってぜひ一度フィラデルフィアへ行きたい、曽祖父の一代記もまとめたいと行動をおこしたのは2006年の初め。フィラデルフィア市当局の盛大な歓迎を受けての訪米は、その年の秋に実現。脊髄腫瘍のため30代からの車いす生活にもかかわらず、60歳で大学に復学し、6年間一度も休むことなく車で通学したという彼女。歓迎してくれたフィラデルフィア市にお礼をと、同市の桜祭りのために自らミシンを使い大学の同窓生にも呼びかけてバザー出展品を送って、この春で3年目となった。「10年続けられたらと願っています」と艶然と語る78歳だ。
 困難を力に変え生きてきた女性たちにはただ敬服するばかり。【楠瀬明子】

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