日本のチェーンレストランやファストフード店などで、若い店員が客から金を受け取る際「2000円カラお預りします」という表現を使い、中高年の人々から批判を浴びたのは3、4年ほど前になるだろうか。我慢できず「2000円カラじゃなくて、2000円お預かりしますだろ」と正す客もいたようだ。
 これらの店員の言葉でもう一つ不評を買ったのが料理を運んできて「こちらトンカツになります」という言葉づかいだった。「トンカツでございます、だろうが」とたしなめた客もいたらしい。「なりますって言うならトンカツになってみろ」と言っても良かったかな。
 これら言い回しも店のマニュアルが主導したとの説が有力だ。マニュアル作成者が何故そういう言葉遣いを考えたのかは分からない。日本語としてズレていて、理屈もおかしい。最近はこの話題をあまり聞かないが、依然として使われ続けているらしい。
 日本のテレビで、文化庁が行ったここ約20年来の若者言葉の調査、分析を紹介する番組を見た。実にさまざまな新語が生まれ、主に若者に使われている。その例はまず「って言うかー」で始まり「わたし的とかにはー、ビミョーでー、ナンカー、超むかつくー、ミタイナー」という具合で、何を言いたいのか分かりにくい。
 これらの特徴の一つは、断定を避けるあいまいぼかし語としての言い回し。背景は断定を避けたい、立場の明確化を避けたいという心理らしく、その理由は責任を取りたくない、反発を恐れる、相手に押しつけたくない、などの複合だそうだ。若者だけでなく一部の壮年層も影響を受けたり若ぶりたい人が使うらしい。婉曲語は日本古来の精神文化だが、こういうのはどうも。
 これら若者新語の多くは、いつの世にも次々と作られる一種の身内のはやり言葉で、一時は流行しても、大方はいずれ泡と消え去るものと思う。言葉は生き物で時代と共に変化や変質を続けていくし、悪貨が良貨を駆逐する傾向も強いが、これらの類のものは、日本人が子供の代に渡していきたいと思う言葉遣いとは思えないからだ。日本人が代々受け継いでいる美意識が機能すると期待する。【半田俊夫】

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