ミカサ陶器の創立者で米国ケンウッドの元社長を務め、ロサンゼルスの篤志家としても知られたジョージ荒谷哲夫さんが19日、リンカーンハイツの敬老看護ホームで死去した。95歳だった。葬儀は3月2日(土)午後2時から、小東京の日米劇場(244 S. San Pedro St.)で行われる。
広島県出身の両親の間に1917年(大正6年)5月22日、加州ガーデナ市に隣接するサウスパーク出身。ハイスクール時代は勉学とスポーツの両分野に優れ、家業の大農園を手伝いながら野球、バスケットボール、フットボールの選手として活躍。日本語学校にも通ったが、日本語は得意でなかったとされるものの、親の勧めで慶応大学に留学し、3年後にスタンフォード大学に転学する。
戦時中はアリゾナ州ヒラリバーの戦時収容所から陸軍情報部隊に入り、日本語教官となる。入隊に際し、同じアリゾナ州ポストンのキャンプにいた二世のサカエ・イノウエさんと結婚。その後、2女をもうける。
戦後はロサンゼルスで貿易会社を興し、ビジネスを拡大していく。主な事業は1951年創業の医療機器輸出会社AMCO、57年創業のミカサ陶器、61年創業の音響機器販売会社ケンウッドなどがある。
ビジネスで成功を収めたほか慈善事業家としても積極的に活動し、日系社会を中心に各方面に支援の手を差し伸べていたことでも知られている。
88年には、日系社会の福祉増進と発展に多大な貢献を果したことにより日本政府から叙勲。趣味のゴルフはホールインワン1回、エイジシュート3回(76、82、84)を記録する腕前だった。
荒谷さんをはじめMikasaの方々には本当にお世話になりました。NY AMCOを閉鎖して帰国してから10年。 今も時折Mikasaの方々、Kenwood時代の方々のことを思い出すことがあります。
NYでの薫陶が今の自分を支えています。
本当にありがとうございました。 ご冥福をお祈りいたします。
George さんに仕事の上でも日常生活の面でもご指導を賜ったご恩は、私にとって限りない誇りであり、生涯忘れることはありません。
Sakayeさんをはじめご親族の方々には、George さんのご逝去を悼み、謹んでお悔やみを申し上げます。
荒谷さんにはKenwoood USA赴任中に大変お世話になりました。
ありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。