佐藤は、昨年の同レースで力走し表彰台を狙える健闘を見せたが、最終周回で追突されリタイヤ。今年は、作戦面で昨年の経験を生かした。通常はタイムが稼げるレッドタイヤ(ソフト)で走るのだが、昨年同様に(消耗が少ない)ブラックタイヤ(ハード)を選択。「ここはそれ(戦略)ができるコースだから」と狙いを定め、タイヤ交換を減らしてピットストップの回数を少なくする戦法に出た。
2位だった28周目に1回目のピットストップ。逃げ切りを図ってレッドタイヤに切り替え、31周目でトップに躍り出た。「順位を維持することが目標で、速く走ったというよりも、変わらない(ペースの)走りをずっとした」と、安定感のある走行でラップを重ねる。くねくねと曲がるコーナーと直線をつないだストップ・アンド・ゴーの難コースを物ともせずに快走。首位を堅持し、じりじりと後続を引き離した。ファイナルラップでは、イエローフラッグが振られるアクシデントがあったものの、2位に5秒近い大差をつける独走で逃げ切った。
日の丸を掲げ、コース1周を優勝パレードし、「うれしかった」という日本人ファンからの祝福にも手を振って笑顔で応えた。表彰台では「すべてで完璧な走りができ、本当に楽しくドライブすることができた。最高の気分で夢のようだった」と会心のレースを振り返った。
2001年のF3以来の久しぶりの勝利だ。F1では夢見た優勝は実現しなかっただけに、「『メジャーシリーズ』で勝てた」と表現。「パーフェクト」と自負するレースについて「簡単ではないけど、優勝する時はこういう風に来るんだと感じた」。達成感に浸る夢見心地の中でも、冷静さに変わりはなく「今日はなぜ良かったかを分析して次につなげたい」と、次戦のブラジル、そして5月の「インディ500」を睨んだ。
不屈の精神で栄冠
佐藤、被災者に勇気
佐藤は、レーシングドライバーとしては遅い19歳でレースを始めた。2001年、F3の世界一を決めるマカオ・グランプリで優勝し翌年、目標だったF1にジャンプアップ。04年のアメリカ・グランプリで日本人最高位タイの3位に入賞するなど期待されたが08年、所属チームの撤退により活動を休止せざるを得なかった。
このような数々の挫折を味わいながらも立ち上がり、不屈の精神で栄冠を手にした佐藤。東日本大震災では、自身の体験とダブらせ、被災者に困難を克服してほしいと、救済のための活動「With you Japan」を立ち上げ、マシンにステッカーを貼って全力疾走を見せ、勇気を与えた。また、他のドラーバーから提供されたグッズをオークションにかけ売り上げを寄付した。
世界に配信される会見では、自身の優勝が母国に与える影響を問われ「震災の影響が残る日本に、明るいニュースになると思う。依然として約30万人が仮設住宅などで不自由な暮らしを強いられている」と訴えた。