海岸沿いを走るロングビーチ・ダウンタウンの市街地コース(1周1・968マイル、計80周)で21日に行われた「インディカー・シリーズ」の今季3戦「トヨタグランプリ」で、参戦4年目の佐藤琢磨が日本人初となる悲願の初優勝を飾った。母国日本と東日本大震災の被災者に「明るいニュース」と勝利を捧げ、自身の歴史的な快挙に胸を張るとともに、優勝を後押しした南カリフォルニア在住の日本人の応援への感謝も忘れなかった。走り、ファンへの心遣いともに、性格のいい佐藤らしい活躍を見せた。【永田潤、写真も】
ロングビーチの市街地コースは、追い抜く個所が少なく、予選4番手(出走27台)は、優勝を狙う上で好ポジションからのスタートとなった。佐藤は、スタート直後に3位に浮上。23周目には、昨季王者のライアン・ハンターレイを抜き2位に上がり、ポールポジションからスタートした先頭のフランキッティを猛追した。
佐藤は、昨年の同レースで力走し表彰台を狙える健闘を見せたが、最終周回で追突されリタイヤ。今年は、作戦面で昨年の経験を生かした。通常はタイムが稼げるレッドタイヤ(ソフト)で走るのだが、昨年同様に(消耗が少ない)ブラックタイヤ(ハード)を選択。「ここはそれ(戦略)ができるコースだから」と狙いを定め、タイヤ交換を減らしてピットストップの回数を少なくする戦法に出た。
2位だった28周目に1回目のピットストップ。逃げ切りを図ってレッドタイヤに切り替え、31周目でトップに躍り出た。「順位を維持することが目標で、速く走ったというよりも、変わらない(ペースの)走りをずっとした」と、安定感のある走行でラップを重ねる。くねくねと曲がるコーナーと直線をつないだストップ・アンド・ゴーの難コースを物ともせずに快走。首位を堅持し、じりじりと後続を引き離した。ファイナルラップでは、イエローフラッグが振られるアクシデントがあったものの、2位に5秒近い大差をつける独走で逃げ切った。
日の丸を掲げ、コース1周を優勝パレードし、「うれしかった」という日本人ファンからの祝福にも手を振って笑顔で応えた。表彰台では「すべてで完璧な走りができ、本当に楽しくドライブすることができた。最高の気分で夢のようだった」と会心のレースを振り返った。
チームは、予選と決勝用にマシンを仕上げ、決勝では2度のピットワークを素早く済ませコースに送り出した。「まったくミスなく、クルー全員が完璧なすばらしい仕事をやってくれ、マシンを限界で走らせることを楽しむことができた」と、チームワークの勝利を喜んだ。
2001年のF3以来の久しぶりの勝利だ。F1では夢見た優勝は実現しなかっただけに、「『メジャーシリーズ』で勝てた」と表現。「パーフェクト」と自負するレースについて「簡単ではないけど、優勝する時はこういう風に来るんだと感じた」。達成感に浸る夢見心地の中でも、冷静さに変わりはなく「今日はなぜ良かったかを分析して次につなげたい」と、次戦のブラジル、そして5月の「インディ500」を睨んだ。
不屈の精神で栄冠
佐藤、被災者に勇気
佐藤は、レーシングドライバーとしては遅い19歳でレースを始めた。2001年、F3の世界一を決めるマカオ・グランプリで優勝し翌年、目標だったF1にジャンプアップ。04年のアメリカ・グランプリで日本人最高位タイの3位に入賞するなど期待されたが08年、所属チームの撤退により活動を休止せざるを得なかった。
10年に活路を求めて渡米。新天地では、チームの体制に恵まれず、なかなか結果が出せなかった。だが、F1での経験を生かし、ベテランらしい粘りの走りを続け、昨季は2位と3位を1度ずつ記録。今季は初優勝が狙える強豪チームのAJフォイトに移籍し、ロングビーチでついに優勝を手にした。これまで優勝のチャンスは幾度かあったが、もう少しのところで逃した。昨年は、伝統のレース「インディ500マイル」で、最終周で優勝争いをする激しいバトルを演じた末に、接触しリタイヤ。快挙を逃した。
このような数々の挫折を味わいながらも立ち上がり、不屈の精神で栄冠を手にした佐藤。東日本大震災では、自身の体験とダブらせ、被災者に困難を克服してほしいと、救済のための活動「With you Japan」を立ち上げ、マシンにステッカーを貼って全力疾走を見せ、勇気を与えた。また、他のドラーバーから提供されたグッズをオークションにかけ売り上げを寄付した。
世界に配信される会見では、自身の優勝が母国に与える影響を問われ「震災の影響が残る日本に、明るいニュースになると思う。依然として約30万人が仮設住宅などで不自由な暮らしを強いられている」と訴えた。