日本語の柔構造は軟体動物的な個性である。例えば英語のI love you、中国語の我愛你、語順はSVOでこの順でしか駄目なのである。他のどの順に変えても文法的に許されず意味も成立せず通じない。仏語などラテン系の言語や独語はSOVでこれらもこの順でしか意味を成さない。
日本語も基本はSOV。だが凄いのは日本語はこれをどの順に変えても構わないし、全部意味が通じる特性。変幻自在の軟体お化けみたいだ。
しつこいけれど例を列挙しよう。僕は君が好きだ、僕は好きだよ君が、好きなんだよ僕は君が、好きなんだ君のこと僕は、君を好きなんだ僕は、君を僕は好きなんだ、とどの順でも意味は同じで許される。もっとも実際には日本語では「好きだ」のひと言で良いところも面白い。誰が誰をなど分かりきったことは言わない方が現実でも映画でも劇的だし真実味がある。外国の人には不思議だろう。英語や華語でラブとか愛とか一語だけ言っても何のことやら。
軟体性は日本語が助詞などで繋げていく構造の膠着語だからだ。さらに助詞の「は」「が」「なら」「こそ」などは、たった一語で趣きを微妙にあるいは大きく変えることができる。
日本語が世界の言語学上でどう成立したどんな言語かについては諸説決着がなく、日本語は世界のどの言葉とも関連しない孤立言語だとの説もあるが、現在世界的に有力なのは日本語がアルタイ語族の膠着語だという説だ。この系統には蒙古語、朝鮮語、琉球語、モンゴル語、トルコ語などが仲間とされる。また膠着語にはウラル語系とされるハンガリー、フィンランドやエストニア語などもある。
言葉以外にもこれら幾つかの国々には共通の文化も見受けられ例えば日、蒙、朝、琉、ハンガリーでは名前は姓、名の順で言い、住所表記も大区画から小区画への順である。日本語とこれら仲間とされる言語とは文化の類似性もあり親しみを感じる。
日本語は奥深く難しいが外国人が学ぶ時に初歩段階で膠着語の柔軟な特性は楽だと思う。日本人にとり英、仏、伊、西、独、中語などでも例えばアイラブユーをどの順で言っても良かったのなら習うのに随分楽であったろうが、そうは問屋が卸さない。
【半田俊夫】