先日、シカゴ沖縄県人会が創立50周年を迎え、220人が参加して祝賀会が催された。
 半世紀である。若い頃は半世紀などというと、果ての見えない遠い歳月だったが、自分が渡米以来46年目を迎えてみると何のことはない束の間の時の流れである。
 記念のプログラムには発足が1966年になっているが、シカゴ日系百年史を開いてみると同県人会の発足は1968年になっている。誤記だろうか。それとも沖縄出身者12人が、アパートの地下室に集まって郷土料理を持ち寄り、三線の音色にふるさとを偲んだという「県人会」とも言えない最初の集いの日から数えたのかもしれない。
 ふと気が付いてみると、1946年発足の山梨郷友会をはじめ和歌山県人会、広島県人会、山口県人会、九州会など十指に余るグループが、一つずつ活動を止め、姿を消してしまった。
 いずれのグループも、会の運営をする役員の他界、高齢化、州外への移転などが理由で、後継者がいないらしい。カリフォルニアなどに比べて歴史の浅いシカゴの日系社会でさえ、三世から四世がリーダーになっている社会で、もう祖父母の出身地に対する郷愁など望むべくもない。
 異文化、異言語の社会で人種差別と戦いながら生きてきた一世やその子供たちにとって、県人会はオアシスであり心のよりどころだったはずである。そんな県人会も、もう必要のない時代になったのだろうか。
 そんな中で沖縄県人会だけが現在も活発に活動を続けており、新年会や夏のピクニックなど恒例の親睦行事だけでなく、今年10月に沖縄で開催される「世界のウチナーンチュ大会」に、会を挙げて海外からの参加者を送り込む努力もしている。
 実行委員など役員の年齢層が比較的若いこと、国際結婚組が多いが、家族ぐるみ全員参加で協力体制がしっかりしていて、エネルギッシュなのが継続していける理由のようである。
 お開きで会場に流れるカチャシーの音楽に、「これを聞くと血が躍るんですよ」と立ち上がったAさんが、にっこりして踊り始めた。
 次の50年に向かって一歩踏み出した沖縄の血である。【川口加代子】

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