昨年の九州北部豪雨から丸1年たった5日から8日にかけて、西日本を集中豪雨が襲った。広範囲で地滑りと河川氾濫の被害が相次ぎ、各地で亡くなった方は現時点で219人、避難者は今なお4800人以上に上る。
 降水量の多い梅雨明けにまたも激甚災害となった。内閣府によると近年の災害では避難の遅れから多数の犠牲者が出ているという。その点を踏まえてか、気象庁の報道官は対象地域の人に危機感を持ってもらうため「身に危険を感じたら」「命を守る行動を」「もう災害が起きていてもおかしくはない状況」などの強い表現を使い、間近に迫る災害の可能性を伝えていた。
 1982年に300人近い死者・行方不明者を出した「昭和57年7月豪雨(長崎豪雨)」を経験した。当時通っていた小学校脇の川が氾濫し、校庭やプールに濁流が流れ込んだ。校舎の半分以上を飲み込んでしまうほどの勢いだった。体育館の床は押し寄せた水の力で歪められ、いびつな形に変化していた。ソフトボールクラブで使っていた道具倉庫は跡形もなく、グローブもスパイクもみな流された。
 雨が降りやんだ後も川の水位は上がったまま。川から5、6メートル上の道路付近まで水面が上がり、のぞき込むと吸い込まれそうなほどの勢い。子供心にたいへんなショックを受けた。
 今回の豪雨災害では昭和57年の豪雨以来初めて100人を超える犠牲者が出た。幸運にも命は助かったとしても、浸水や倒壊がもたらす精神的、体力的苦痛も相当なものだ。浸水した家屋や店舗、街を元どおりにするのは個人の力では難しい。阪神大震災を機にボランティアの動きが活発になったが、それ以前は地域で力を合わせて復興するしかなかった。災害が増え、防災への国民意識が高まったとはいえ「避難の遅れ」の解消はまだまだ徹底されていない。
 山崩れの多発する地域では高齢者だけの家庭も多く、避難するにも交通手段がない場合すらある。災害復旧・復興予算の増額は当然のこととし、防災のための予算も増やし、被災者を減らす努力を続けるべきだろう。【麻生美重】

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