この日はまた、エンゼルスに所属する大谷翔平選手の活躍を見よう、と地元日系社会のみならず、日本からもファンが駆けつけ、いつも以上に多くの日本人の姿が見られた。
開門と同時に、ゲート付近のプラザで「LA太鼓一座」による力強い演奏が披露され、イベントは活気を帯びた。
センターの外野では、幼稚園から8年生までの日系少女メンバー65人によるチアリーダー「POM POM GIRLS」が音楽に合わせ、日頃の練習の成果を発揮し、息の合った演技で盛り上げ、大きな拍手を浴びた。同チアリーダーのユニホームは、日の丸カラーの赤と白だが、この日のドジャー球場デビューに備え、ドジャーブルーを新調した念の入れよう。
ヒデは「こんな大きな会場で演奏するのは、初めてだったので正直不安があった」という。だが、無事にパフォーマンスを終えると、ドジャーファンのみならずエンゼルファンからも称賛の多くの拍手と言葉をかけられ「とても感激した」と安堵の表情で話した。ヒデにとって、ドジャースタジアムは1966年にビートルズがコンサートを行った会場でもあるだけに憧れを持っていたという。「僕にとってはビートルズと同じ場所に立てたという感慨深さもあった。こんな大きな夢を実現させてもらった皆さんに感謝したい」と述べた。
始球式は、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督の母親の栄子さんが務めた。栄子さんは沖縄県那覇市出身で、ロバーツ監督は沖縄で生まれ8歳まで過ごしたことから、「ジャパンナイト」に適任。イベントの「大トリ」を務めた。
監督の母栄子さんが始球式
「日本とドジャース、亡き夫のために」
始球式の依頼は、10日ほど前にあったという。栄子さんは野球、ソフトボールの経験がないため一瞬、ためらったというが、この日はジャパンナイトであることから気持
場内アナウンスで「日本出身でドジャースのデーブ・ロバーツ監督の母『エイコ・ロバーツ』」と紹介されると、大きな声援が起こり手を振ってそれに応え、マウンドに向かった。捕手役は、もちろん自慢の息子。大きく振りかぶったファームから一球を投じると、構えたグローブの中に見事に収まった。ロバール監督は、ガッツポーズし母の投球を絶賛した。
監督からボールを受け取り、スタンドに向け笑顔で記念のボールを披露。投球を見守った孫や友人には「ドジャースにスカウトされたらどうしよう」と、おどけて見せ「すごく緊張したけど、ボールを受けてくれたのが、息子だからやっぱり安心して何も考えずに投げることができた。みなさんに喜んでもらってうれしく、楽しかった」と述べた。「やっと終わった」と肩の荷が降りた様子で「ドジャースを応援する。去年はワールドシリーズの(最終の)7戦目で負けたので、今年は絶対勝ってほしい」と願った。
ロバーツ監督は、遠くで1人暮らしをする老いた母の生活を案じているようで、栄子さんによると、夫が亡くなってから、監督からの電話の回数は増え「週に2、3回掛けてもらい、うれしい」と、親孝行の息子の気遣いを喜んだ。