出産祝いを送っていたところ、日本に着いた私たち夫婦に内祝いが届けられた。ずしりと重い品はなんと、小さな米俵。誕生した赤ん坊と同じ重さの米が入っているという。趣向を凝らした内祝いが登場したものと感心しつつ、実用的だと喜んだ。説明書によれば、丹念に栽培・収穫し、精米したばかりとのこと。さぞおいしいだろうと、期待も膨らんだ。
 ところが、私が日本で使用している「電気釜」は、70年代に渡米する時に実家の納屋にしまっておいた物。外釜に入れた水が蒸発するとスイッチが切れる仕組みで、残念ながらどんな米を使ってもさほどおいしいと感じない。一方、電気釜はこの半世紀の間にどんどん改良が重ねられて「炊飯器」として進化。テレビ画面では、おいしそうなご飯の炊きあがる様子が宣伝されている。
 物を粗末にすまいと10年ほどこの電気釜を使ってきたが、単純な仕組みの電気釜が壊れるのが先か、介護のための日米往復で疲れ気味の私たち夫婦が壊れるのが先か、怪しくなってきた。物を大切にするあまり米のおいしさを知らずに一生を終わるのもつまらないと、内祝いを機会に再考。現代の炊飯器を買おうと近くの家電量販店に向かうと、ここでも新しい体験があった。
 かつて「定価」や「メーカー希望小売価格」で決まっていた日本の家電価格も、量販店の伸長で随分と変わったのは知っていたが、変化はそれ以上。買物に行くことを義妹に話すと、「アマゾンならもっと安いと売り場で言うと、それでは同じ値段にしますと言われて驚いた」。友人は、「予算はこれだけしか無いと言うと、そこまで安くしますって言われた」。
 半信半疑で店に向かうと、店頭にはとりどりの炊飯器。店員にひと通り説明を聞き、目を付けた機種について「いくらか安くなる?」と尋ねると、「5千円値引きします」。量販店による低価格競争は、ネット販売等の影響で一層激化していることに驚いた。
 購入した炊飯器で炊いた米はといえば、艶といい甘さといい、想像以上のおいしさ。これは嬉しい驚きだった。いくつもの驚きを感じつつ深まりゆく日本の秋だ。【楠瀬明子】

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