子供の頃に、兄弟でよく楽しんでいたのが日本一周の双六でした。直江津という地名は、双六で何度も通った場所であり、行ったことがなくても親しみのある地名でした。この直江津からフェリーで2時間ほど乗ると、金山で有名な佐渡ヶ島に到着します。そしてこの島で朱鷺(トキ)に会うことができました。奈良時代に成立した『日本書紀』に桃花鳥(トキ)という表記があります。江戸時代にシーボルトによって新種として世界に紹介され、明治初期には朱鷺の学名が「ニッポニア・ニッポン」として登録されました。
 私が上海万博で日本館に行った時に、そこでの展示映像に象徴的に舞っていたのが朱鷺の姿でした。広げた白地の羽に映える紅色の顔は、日本のフラッグを思い起こさせました。それを私だけでなく、世界中の人が何時間も待って入館して見入っていたのです。かつて東アジアの山間の湿地や水田で、ドジョウや昆虫を捕食する朱鷺の姿が見られました。里山にきれいな空気と水があった頃には、さぞかしたくさんの朱鷺が空を舞っていたのでしょう。
 この朱鷺が明治期乱獲され、朝鮮半島でも中国でもロシアにいた朱鷺も絶滅したと思われました。遂には世界中で朱鷺が7羽になってしまったという報道がされたのが、昭和も終わりに近づく頃でした。人間の都合である高度経済成長と引き換えに、朱鷺はその姿を消していったのです。
 佐渡のトキの森公園では、ゲージの中で飛び交う朱鷺の姿を見ることができました。大切に保護されながらもアジア各国の努力で、現在自然界には約340羽、そして佐渡には約90羽に増えた朱鷺が確認されているそうです。そして平成に入り、里山に放鳥する試みも進んでおり、自然での産卵も確認されるようになりました。
 私たちは少子高齢化で減少していく日本人の姿を、朱鷺の姿に重ね、自分たちの行く末と重ねているのかもしれません。国境は人間が勝手に引いているだけで、朱鷺に国境はありません。ニッポニア・ニッポン。私たち自身が絶滅する前に、やるべきことは何かを考える必要があるのかもしれません。【朝倉巨瑞】

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