土方の故郷、秋田県にある土方巽記念秋田舞踏会(米山伸子理事長)が土方生誕90周年を記念して一冊の写真集を作った。1977年から1978年にかけて、雑誌「新劇」に連載したシュールリアリズムの自叙伝「病める舞姫」をもとに、日本の代表的な舞踏家6人が本の内容を表現し、写真家の谷口雅彦が撮影した。撮影は2017年の夏に、土方にゆかりのある秋田市と羽後町(うごまち)の各所で行われた。
23日間にわたって開催された写真展のオープニングイベントでは、 発行者の米山伸子理事長や土方の弟子の玉野黄市、弘子夫妻、写真集に賛助出演した花名 カナ・カイ・ジョーンズさんらがゲストとして集い、土方の軌跡を追った。さらに、新作舞踏作品「病める舞姫」が花を添えた。
のどかな田舎の風景に対比して衣装と化粧に身を包んだ舞踏ダンサーがポーズをとる。すり切れた畳の上に真っ赤なワンピース姿の女性が横たわる。米山理事長によると、「土方の自叙伝は難解で、土方を研究する多くの人が読み解こうとしている。写真集は、その解釈の一つ」
土方巽のダンススタジオ、アスベスト館のリードダンサーだった和栗由紀夫さんの撮影に参加した花名 カナ・カイ・ジョーンズさんは、「かつて門下生として出入りしていた頃の私を和栗さんが覚えていてくれて、撮影に一緒に入った。残念ながら、和栗さんは数か月後に亡くなり、忘れられない体験となった」と撮影の思い出を語った。
土方巽と舞踏
三島由紀夫などとも交流し東京のアバンギャルド芸術の最先端にいた土方巽のアスベスト館には土方を師事する若者が研修のために集まった。
現在北加在住で、時に応じて南加でも舞踏のワークショップを開催している玉野黄市さんと弘子さん。弘子さんは、「入門してすぐに『これは卒業のない永遠の学校に入ってしまったなぁ』と悟った」と話す。玉野黄市さんは土方巽の一番弟子で、アメリカ大陸に最初に舞踏を紹介した人物でもある。 65〜72年ごろに多くの土方作品に出演した黄市さんは、「稽古はいつでも真夜中過ぎから開始だった」 。当時の舞台公演を記録した白黒の映像は、エネルギーに満ちたかつての土方舞踏の様子を伝えた。
花名さんの入門当時、土方巽は「病める舞姫」を執筆中で、出版社に送れるよう原稿用紙に清書するのを手伝ったという。「内容は難解でシュールな表現が多く、また、秋田の人間でなければ分からない情景も多かったが、詩のような流れと奇想天外なストーリーには大層惹かれたのを覚えている」
舞踏「病める舞姫」を発表
花名 カナ・カイ・ジョーンズの新作舞踏作品は土方巽と「病める舞姫」へのオマージュで、原本「病める舞姫」の一章と写真集からインスピレーションを得て振り付けされた。
「土方巽がクラシックを好んで使っていたので、音楽にグレゴリオ聖歌を使い、土方は日本の伝統的な音楽も良く使っていたので、秋田民謡の『秋田長持唄』と秋田三味線奏者、浅野修一郎演奏の『秋田荷方節』を選んだ」と花名さん。
秋田長持唄は、尺八奏者として世界中で公演をしているジョン・海山・ネプチューンがライブ演奏をし、佐藤松豊美月と芳賀政代が唄を添えた。
舞踏は、今では世界中で踊られるようになり、種類もスタイルも数多くあるが、舞踏の本質を掘り下げようとすれば、おのずとして創始者に帰る。
土方が多感に過ごした秋田は土方の心の舞台であり、また土方の功績によって現在の秋田市と羽後町は「鎌鼬(かまいたち)の里芸術祭」をはじめ舞踏イベントが盛んに行われ、地元にも舞踏が浸透しているという。【取材 長井智子】