ナンシー・キョウコ・オダ(74歳)
【旭日双光章】
会長就任の年の平成23年(11年)に東日本大震災が発生し、同コミュニティーセンターおよび地域の日系団体などに働きかけ、積極的な募金活動に取り組んできた。年間を通じて集まった義援金計11万ドルを日本に送金し、5年後の平成28年(16年)には、震災孤児を支援するための義援金募金イベントも開催した。
ツールレイク強制収容所で日系3世として生まれたオダ氏は、生き延びることができたからには、収容所での出来事を伝えていく責任があると確信し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の東アジア研究学科に在籍中、父タツオ・イノウエ氏が、強制収容所での出来事を記録に残した「ツールレーク軍事刑務所日誌」の英語翻訳に取り組み、平成30年(18年)には、第2次世界大戦中の日系人の歴史を保存するUCLAのスヤマ・プロジェクトの一環として、同「日誌」の英語翻訳版をオンライン出版した。
平成25年(13年)6月に、荒地となり住宅地開発が計画されていたツナ・キャニオン拘置所跡が、ロサンゼルス市の史跡に認定された。同氏は、ツールレイク収容所生存者である点と、サンファナンドバレー日系アメリカ人コミュニティーセンターの会長としての高い指導力を発揮していた功績が認められ、平成26年(14年)にツナ・キャニオン拘置所連合の初代会長に就任し、非営利団体として発足させた。
オダ氏の主導の下、ツナ・キャニオン拘置所の歴史的事実の認知を広める巡回展が企画されるとともに、米議会による日系人収容所助成金プログラムから助成金を獲得し、巡回展の実現に至っている。この巡回展「オークの木だけが知っている」は、2千人以上の拘束された日本人、ドイツ人、イタリア人移民および送還された日系ペルー人の拘置所での経験を写真、手紙、日記などによって紹介するもので、西海岸12カ所で開催された。同連合発足以前はほとんど知られていなかったツナ・キャニオン拘置所は、同氏の優れた統率力と、同連合の活発で継続的な広報活動およびロビー活動の結果、平成31年(19年)には、ロサンゼルス市が確保した、ツナ・キャニオン拘置所跡の一部の土地に、拘置所跡地看板が設置されるに至った。
また、日系人強制収容の歴史を若い世代へ伝えるべく、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校および同ロングビーチ校ほか、多数の高校や教育団体に出向いて強制収容の事実を後世に伝える活動に積極的に取り組んできた。
ブライアン・キトウ(63歳)
【旭日双光章】
小東京防犯協会は、昭和57年(82年)に、南加日系商工会議所の会員がロサンゼルスのダウンタウン内にある米国最大の日本人街である小東京の治安の悪化を懸念し、地元商店などに寄付を呼び掛け、小東京内に夜間の巡回警備員を配備したことがきっかけで設立された。キトウ氏は、同協会副会長就任後、これまで配備されてきた夜間の巡回警備員に加え、ボランティアを集って「パトロール隊」を結成し、ロサンゼルス市警察(LAPD)にパトロール車の同行を要請して一緒にパトロールを実施するなど、安全な街づくりと治安改善に取り組んできた。
平成7年(95年)1月31日のロサンゼルス・タイムズ紙は、同氏の活動を取り上げ、「ロサンゼルス警察によると、パトロールを一緒に始めてから、リトル・トーキョーにおける犯罪率は前年比66%も減少した」と掲載している。
平成8年(96年)同氏は、小東京のビジネスコミュニティーのボランティアおよびロサンゼルス市と協力し、地域の防犯と観光旅行者のための案内所として、LAPDと小東京防犯協会が運営する「小東京交番」を開設した。同交番は、小東京の治安改善に向けて大きく貢献したとし、平成16年(04年)には、外務大臣表彰を受賞している。
平成20年(08年)の二世週祭では「ロサンゼルス七夕まつり」実行委員長として七夕まつりを盛り上げ、東日本大震災後には、東北、特に仙台市の復興支援に尽力した。また、小東京防犯協会会長として、積極的な募金活動に取り組んできた。
同氏は、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校パット・ブラウン研究所から依頼を受け、これまで計880人の南カリフォルニア地域全体に及ぶ警察官を対象に、地元警察と連携したコミュニティーの治安改善に向けての取り組みにかかる講義を実施するなど、警察官の育成にも貢献した。また、日系人警察官候補者の発掘、育成に向けても務めてきた。
なお、キトウ氏は明治36年(03年)に開店した、小東京において最も長い歴史を誇る個人商店「風月堂」の3代目経営者として、日本の伝統を守り続けている。名物の餅やまんじゅうをはじめさまざまな和菓子を取り揃えており、近年は米国人にも日本の食文化に親しんでもらうきっかけとして、伝統的なまんじゅう以外に、ピーナッツバターを中に詰めたストロベリー味のまんじゅうも考案し、新たな顧客層が生まれており、米国人に対する日本の食文化の紹介にも寄与している。
また、昭和64年(89年)から30年間、在小東京・西本願寺のサマープログラム「西心道場」に通う年間約100人の小学生に対して、まんじゅうづくりを指導し続けている。さらに、小東京の日米文化会館などで行われている料理教室などの機会にも指導するなど、和菓子作りを通じた日米相互理解の促進に貢献している。