むちの返還は、在ロサンゼルス日本総領事館が取り持ち、返還式の模様は1日、YouTubeで公開された。式には武藤顕総領事とLA84ファンデーションのレナータ・シムリル会長、むちを預かり日本の遺族に届ける俳優のマシ・オカさんらが出席。新型コロナウイルスの影響で1年延期され、満を持して開催にこぎ着ける東京大会の意義を説きながら、競技での活躍のみならず、ハリウッドのセレブリティーと広い交友関係をもつなど、国際人としての西の功績を各人がたたえた。
LA84ファンデーションは、84年のロサンゼルス五輪の遺産として85年から活動を開始し、スポーツ選手のみならず、次世代の一般の若者と指導者の育成に努めている非営利団体。南カリフォルニアの人々に84年大会の遺産とオリンピック精神を伝える活動を行っている。また、五輪の全大会の記録をデジタル化し、ウェブサイトで公開している。司書を務めるマイケル・サーモンさんは、LAの2大会について「32年開催は世界大恐慌の真っただ中で、84年は開催反対運動が起こり、危険を伴ったが、どちらも成功を収めた」と説明。新型コロナの危険性を理由に反対論が絶えない現在と状況が似ている。
西のひ孫の西満彦さんがビデオメッセージで、西の生い立ちから陸軍での経歴、戦死するまでの生涯を紹介した。西が活躍した当時の新聞や雑誌などの記録と満彦さんによると、西は人々から慕われた温かみのある人間性を持っていた。チャーリー・チャップリンやダグラス・フェアバンクスなどのハリウッドスターとも親交があり、南カリフォルニアの人々に愛され、「バロン(男爵)西」と親しみを込めて呼ばれていた。
西は第2次世界大戦では日本軍将校として出征し、激戦地の硫黄島で45年に42歳で戦死した。その様子はクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」でも語られている。最前線で指揮する中でも五輪で駆った愛馬ウラヌスのたてがみを胸のポケットに入れて、最期まで身に着けていたという。満彦さんは「戦争により西の人生が家族や友人と切り離されたが、今日ここで西の遺産を人々が楽しみ、オリンピックとスポーツが世界の人々に希望を与え続けることを願っていることがうれしい」と語った。
2028年に五輪開催を控えるロサンゼルスからは、市長や市議などがビデオで登場。7年後にホストを務める立場から、苦難の道を歩んできた東京にエールを送り、五輪・パラの成功を願った。
財団のシムリル会長は、「バロン西のむちが象徴する業績の重要性を認識し、貴重なオリンピックの記念品の管理者を務めたことを光栄に思っている。このむちが、バロン西のものであることを知ったとき、西の遺族に返し、西の物語と影響力を世界に伝える機会を得たことをうれしく思った」と話した。
最後は、白血病を克服し東京五輪代表となった競泳の池江璃花子選手が登場。昨年7月23日に催した五輪開催1年前のイベントで、世界の人々に発信したビデオメッセージが流された。病床のやせ細った姿やリハビリに励む様子。そして病魔に打ち勝って泳ぐ姿は、水を得た魚のように映る。新型コロナで激変した世界について、池江選手は「人と会ったり、外を歩いたり、プールで全身を使って泳ぐこと、その全てがこんなにも愛おしく、こんなにも幸せだと病気の前は気付いていなかった」と、生死にかかわる大病を患った自身に重ね合わせて語った。「五輪・パラ選手にとって練習やプレッシャーは相当きつく正直、逃げ出したくなることもある」と語り、2020年の目標を突然に失い1年延期の対応を余儀なくされた選手を思いやった。「1年後、オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたらどんなにすばらしいことだろう」と願った。「東京2020プラス1」と自らが表現した願いはかない、大会では日の丸を背負ってリレー数種目でメダル獲得を目指す。
西は金メダルを獲得した思い出の地ロサンゼルスを幾度も訪問し、日系社会とも交流があったという。当時は、在米アジア・日系人への偏見や差別は激しく、米国人と対等に付き合う母国の英雄として日系社会は誇りに思ったことだろう。アジア系へのヘイトクライムは現在も存在し、新型コロナの感染拡大に連れて増加したことを受け、バイデン大統領はアジア系へのヘイト対策法を成立させた。総領事は、32年ごろの米社会の差別について「今と比べ、昔は露骨なときもあったと思う。そういう中で、1人の日本人がスポーツを通じてアメリカ人の敬意を勝ち取ったことは偉大なことだ」とたたえた。
返還式の模様は、YouTubeで視聴できる。
https://youtu.be/n-GMKml9ecI/MayorOfLA/
【永田潤】