当時の収容の様子が感じ取れる有刺鉄線に囲まれたアマチ収容所跡

 米下院はこのほど、第二次世界大戦中にコロラド州にあった、アマチの名称で知られる日系米国人の強制収容施設「グラナダ・リロケーション・センター」を歴史史跡にする法案を圧倒的多数で可決した。
 この法案はコロラド州選出のジョー・ネグズ議員(民主党)とケン・バック議員(共和党)の超党派で提出され、416対2で下院を通過した。次はマイケル・ベネット議員(民主党)とジョン・ヒッケンルーパー議員(民主党)がスポンサーとなって上院に進む。

当時の様子がうかがえる地図とアマチの標識

  現在、同施設はアマチ保存協会が管理しており、2006年には国定歴史建造物に指定された。同地、グラナダ高校の校長であるジョン・ホッパー氏が同協会を設立し、同校の生徒たちがアマチでボランティア活動を行い、ツアーを行ったり、助成金の申請を行ったり、収容所で亡くなった人たちの墓地を管理したりしている。

 全米日系人博物館の館長兼CEOであるアン・バロウズ氏は、ジョー・バイデン大統領がこの法案に署名できるよう、上院での迅速な可決を求めた。

 「アマチの強制収容所跡は、米国の歴史の暗部を象徴する場所であり、学習の場、考察の場として永久に保存されなければならない。1942年から1945年の間に、そのほとんどが米国市民でありながら日本人の血を引くというだけで収容されていた7千人以上の人々が残した遺産は、語り継がれなければならない物語だ」。バロウズ氏はこのように述べ、さらに「国定史跡になると、アマチは国立公園局の専門知識の恩恵を受け、この国宝はすべての訪問者が体験できるように保存・保護されることとなるだろう。アマチは、巡礼、教育、記憶、行動のための歴史的な目的地としての力を象徴することになる」と続けた。

 米国国立公園保護協会でコロラド州を担当する上級プログラムマネージャーのトレーシー・コッポラ氏は次のように述べている。「この圧倒的な支持票は、米国が『アマチ運動』を信じていること、そしてこの運動が超党派であることを明確に示している。今年の上院でも同じことができない理由はない。最も確実な次のステップは、この秋に、できるだけ早く上院の国立公園に関するエネルギー・天然資源小委員会に、この法案の公聴会を設定するよう働き掛けること。上院への働き掛けには総力が必要だ」

 アマチが史跡になると国立公園局が管理を引き継ぐことになり、アマチとその地域の経済と観光が活性化される可能性がある。また、現在グラナダ町が所有している土地を、寄付や購入によって取得する権限を米国内務長官に与えることになる。

 フレッド・T・コレマツ・インスティチュートのエグゼクティブ・ディレクターであるカレン・コレマツ博士は、彼女の父親の体験について、「基本的な権利を失った例として今日でも響き合うものがある」と語った。さらに、「今まで以上に、歴史の教訓を学ばなければならない」と述べ、アマチ国立史跡法が可決されたことについては「下院、そしてネグズ議員とバック議員のリーダーシップをたたえる」と話している。

 当時アマチで収容されていたケン・キタジマさんは、「少年時代をアマチで過ごした者として、自分の話を気に掛けてくれるアメリカを見ることになるとは思わなかった。今日の投票により、アマチを国立公園に指定するという夢の実現に近づいた。この大きな一歩を踏み出してくれたネグズ下院議員と下院の指導者に感謝する」と謝意を表した。

 アマチの収容者の子孫であるケン・ツカダさんは、「アマチは収監によって米国に貢献した12万人の日系人の記念碑になる」と述べ、今回の投票を称賛した。「私の祖父はそこで亡くなり、いとこたちはそこで生まれた。全員が戦時中に、そこで米国に『奉仕』した。アマチのことを考えるとき、私がこれまでに耐えたことのないような勇気をもって自分の人生を犠牲にした人々を、謙虚な尊厳を感じながら誇りに思う。そして、米国が自らの過ちを認め、子孫たちに奪われた多くの夢をかなえる機会を与えてくれたことも誇りに思う」。ケン・ツカダさんはこのように語った。

 国立公園局によると、アマチの収容所跡には、墓地、貯水池、井戸とタンク、道路網、コンクリートの基礎、監視塔、憲兵隊の住まい、収容者によって植えられた木などがある。

 収容当時、収容者の多くは成功した農業従事者であり、アマチ収容所はジャガイモ、小麦、トウモロコシなどを収穫する農業の中心地として繁栄した。また、アマチの収容者の10%以上が、勲章を授与された第442連隊戦闘団や女性陸軍部隊をはじめ、看護師や教官として米軍に従軍した。

 アマチは、アリゾナ州のポストン、ギラリバー、アーカンソー州のジェローム、ローワー、カリフォルニア州のマンザナー、ツールレイク、ユタ州のトパーズ、アイダホ州のドミニカ、ワイオミング州のハートマウンテンとともに、戦時転住局が設置した10カ所の収容所の一つである。 【訳=早石侃騎、写真=ミカエラ・ルランド】

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