19世紀以降、数多くの日系米国人や日本人のアーティストたちが米国でも活躍した歴史がある。日系人アーティストの多くは戦争を挟んで決して平坦な人生ではなかったが、自分たちのアイデンティティーと尊厳を取り戻すために作品を作り続けた。これから紹介する作家はほんの一握りにすぎないが、現代アートに偉大な功績を残し、時空間を超えて自由な心と希望を与え続けているのだ。時代を追って掲載するシリーズ第2回【梁瀬 薫】
2.米国で制作活動をしてアメリカ現代美術に影響を与えた国際的芸術家
岡田謙三(おかだ けんぞう)1902年—1982年

横浜市出身。 1924年から3年間フランスに留学。モダンで叙情的な絵画を描いていたが、新しい表現を探すために1950年からニューヨークに定住。当時のアメリカ美術を圧巻していた抽象表現主義にインスパイアされ、それまでの具象絵画から抽象絵画に変化する。ニューヨークでマース・ロスコ、ウィレム・デ・クーニング、フランツ・クライン、ジャクソン・ポロックといった抽象表現主義の有名作家たちを世に送り出していた第一線で活躍する画廊主ベィー・パーソンに認められ1953年個展を開催し瞬く間に注目を集めた。55年には国際的なアートの祭典サンパウロ・ビエンナーレで米国人アーティストとして選出された。ピッツバーグのカーネギー国際美術展で国際賞受賞、58年には美術界のオリンピックと呼ばれるベネチア・ビエンナーレに選ばれるなど着実に評価されていった。60年に米国市民権を得る。岡田は禅の世界観や能が表現する間を自由な色面と構成で独特な画風を創造し「ユーゲニズム(幽玄主義)」と提唱される。82年東京で死去。
新妻実(にいずま みのる) 1930年—1998年

東京都出身。東京芸術大学彫刻家卒業。1959年ブルックリン美術館付属美術学校の奨学金を得て渡米。ハワード・ワイズ画廊で初個展。石の彫刻を出品。戦後のミニマリスト彫刻家として高い評価を得る。64年から4年間ブルックリン美術館付属美術学校で教壇に立ちその後12年間コロンビア大学美術科で教える。大理石、御影石、火山岩などさまざまな種類の石により幾何学的、有機的な形体から石の荒さを生かしたようなスタイルまで幅が広い。作品は日本の伝統的な形態や様式の芸術にインスパイアされた独自の作風が確立されている。68年以降米国以外でもオーストラリア、ポルトガルなど数々の国際彫刻シンポジウムに参加。76年には東京西武美術館で個展が開催された。 81年からポルトガルでも制作活動をする。「眼の城」と題された作品シリーズは代表的な作品として知られている。グッゲンハイム美術館、ニューヨーク近代美術館、スミソニアン美術館をはじめ、世界各地の美術館や庭園に収蔵されている。ニューヨークの病院で死去。
荒川修作(あらかわ しゅうさく) 1936年—2010年

名古屋出身。日本で1960年に吉村益信、篠原有司男、赤瀬川源平とアナーキズムを旗印に反芸術を掲げる前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。1961年に渡米。20世紀美術に革新的な発展を促したマルセル・デュシャンに会い、以降ニューヨークに定住し芸術活動を続けた。視覚的な美術を批判し、観念の芸術を提唱したデュシャンの試みを越えるため、身体で芸術を体感することを目指す。
62年に公私ともにパートナーとなる詩人マドリン・ギンズと会い、共同制作を始める。「意味のメカニズム」というプロジェクトは70年ベネチア・ビエンナーレで発表され、現在でも数学者や物理学者、クリエイターのバイブルとして読み継がれている。95年に岐阜県に開園した「養老天命反転地」は、まさに2人の30年以上に及ぶ構想を実現した身体でアートを体感できる芸術空間となった。このアートを理解するには文字通り体感するしかないと言っておこう。
-https___www.yoro-park.com_facility-map_hantenchi_-Photo-courtesy_-The-Site-of-Reversible-Destiny—Yoro-Park-Credit-line_-©-1997-Estate-of-Madeline-Gins.-Reproduced-with-permissio.jpg?resize=550%2C421&ssl=1)
97年日本人作家として初めてグッゲンハイム美術館で大規模な回顧展が開催された。2005年には荒川とギンズが提唱し続けてきた「生命を生む環境」と「死なないための家」として三鷹天命反転住宅イン・メモリー・オブ・ヘレン・ケラー」が誕生した。「死という宿命(天命)を反転させる」というコンセプトの建築概念を超えた仕掛けに満ちた家だ。実際に賃貸住宅として機能しているが「芸術作品か建築か」という議論は今も続いている。さらに08年にはニューヨーク郊外イースト・ハンプトンにこの「死なないための家」の第2号となる「バイオスクリーブ・ハウス」が完成。1982年紺綬褒章受章、86年フランス文芸シュヴァリエ勲章受章、2003年紫綬褒章などを受章している。
「養老天命反転地」ホームページ—https://www.yoro-park.com/en/
「三鷹天命反転住宅」ホームページ—http://www.rdloftsmitaka.com/eng/
河原温(かわら おん) 1932年—2014年
愛知県出身。コンセプチュアルアーティストとして知られる。1950年代に日本での活動を経て、65年からニューヨークを拠点とする。モノクロのキャンバスに白い絵の具で文字を描く作品制作が始まる。翌年66年から制作された「日付絵画」という作品がのちの代表作となる。66年1月4日から単色で塗られたキャンバスに白色絵の具で制作年月日だけを描いたもの。一つのキャンバスはその日のうちに完成させるというルールがあり、完成後はその日の新聞を入れた箱に収められた。主にニューヨークと旅先で描かれ、その土地の言語が用いられる(ただし日本をはじめ、アルファベットを使用しない地域では世界共通語として国際補助語であるエスペラント語が使用された)。生涯を通して作られた作品数は3000点にも及んだという。では、展示されたこれらの作品を見ると日付だけが描かれている「絵」は何のことなのか一体誰が理解できるだろう。描く日の日付の反復。これらはすべて河原が自分の生きている時間と空間を記録したものだといい、ある種の存在証明のようなものとなる。あるいは記録が重なることによって個性が埋没するという矛盾を促している。鑑賞者には時間や空間について考えさせ、個人的、日常的なことと普遍的なものや宇宙的なものとの結びつきを示しているのだ。ほかに、ベッドから起きた時間をスタンプしたハガキを知人に送る「私は起床した」や自分が生きていることを電報で通知、あるいは少なくとも電報の送信時に生きていることを知らせる「私はまだ生きている」などが代表作だ。 2015年に開催されたグッゲンハイム美術館での個展「河原温—サイレンス」の準備の最中2014年に死去。

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梁瀬 薫(やなせかおる) ニューヨーク在住。美術評論家。アート・ジャーナリスト
1986年MOMAの仕事でNYへ渡る。以来、(株)美術出版社ニューヨーク支部を立ち上げ海外情報事業を担当。AICA(国際美術評論家連盟)米国支部会員、美術ジャーナリストとして多くのメディアに寄稿、アートコンサルタント、展覧会企画とプロデュース、展覧会カタログ執筆・翻訳など、コンテンポラリーアートを軸に幅広く活動している。
共著に「マイ・アートーコレクターの現代美術史」(1998年)スカイドア社。
2008年より山梨県小淵沢にある世界で唯一キース・ヘリングの作品を展示する、中村キース・ヘリング美術館の顧問とキュレーターを務めアジア、ヨーロッパでの展覧会を企画。