今年は本当に天候が不順だった。雨の季節にはまだ早い10月初め。雨の寒い日、訪問したナーシングホームの薄暗い部屋のベッドで初対面のあいさつをした。
 今年は、今年もというべきか。年の初めから看取りのご縁にめぐまれた。年初めにかかわった方のご縁というか、縁から縁が生まれて知り合った。当地にいるはずの身内とは連絡が取れず、どうしよう大変だ! と知人から連絡を受けた。日本在住の兄弟には連絡が取れた。しかし、引き取るとか、来てみるとか何かしてあげるとかは難しいようだ。
 日本を出るときには、高齢になるまでとか、この地に骨を埋めようとかは考えていないと思う。ずるずるというか、気がつけば体の自由が利かなくなっていた、日本に戻れる状況になくなっていたという人が多いように思う。身内が近くにいない、しかも万が一を想定した手続きをとっていない、日本の親族も高齢になっていて身動きが取れない。諸々の悪条件が重なってくる。
 赤の他人は、してあげたくても何もできない。話し相手と、単なる連絡係りでしかない。繰り返し丁寧に事実を伝えることで、受け取る側の考え方に変化が起こることを期待するしかない。
 この出来事の直後に、別の知り合いが重篤な状況に陥った。やはり身内がいなかった。総領事館を通じて日本の身内を探してもらえたのは幸いだった。しかも、身内が渡米して、必要な手続きを取るなどのことをした。しかも、日本に帰って来なさい、と帰国を促していた。「帰りたい」には、帰ってくると困ると言われる、帰って来いといわれる方は「帰りたくない」と言う、対照的な事例を目の前にしている。
 普段は、あまり関係がないように考えている在外公館。緊急に連絡を取りたい日本の身内や外国在住の身内の所在が分からないとき、外務省、在外公館の働きがありがたい。そんなの出さなくてもと考えている皆さん、在留届は大事です。
 ちょうど、2年前に看取りをさせていただいた方の3回忌。あの時もいろいろあったと思い出した。【大石克子】

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