12月1日山崎宏医師が、中国山東省済南市でひっそりと亡くなりました。享年102でした。山崎さんは1908年に岡山県で生まれ、29歳のときに日中戦争従軍のため中国へやって来ました。軍医だった山崎さんは、旧日本軍が中国で行なった殺戮(さつりく)行為に耐えかね、従軍して6カ月で脱走します。そして物乞いなどをして、やっとの思いで済南市にたどりつきました。当時、日中戦争の中で脱走した日本兵をかくまうことは、命がけの行為であったと想像しますが、それでも腹を空かして動けない山崎さんを、済南の中国人は助けたのです。
 済南の中国人がしてくれた行為へのお返しとして、山崎さんは中国人のために全身全霊をかけて医療と善行を続けることとなります。最期まで日本国籍を保持していましたが、戦争が終わっても日本に帰国することはありませんでした。日中国交が正常化して故郷を訪れたのは、恩のある済南市と和歌山市の姉妹都市締結のためでした。山崎さんは贅沢をすることもなく、質素な暮らしをし、中国と日本のために70年間自分を尽くし続けました。そんな彼を中国の新聞も、「世を救う100歳の神の医師」として紹介しました。
 「誠心誠意は最後まで実行する」このことが、山崎さんの唯一の願いでありました。日本の残虐行為や戦争責任を、彼は一人で背負って立ったのです。誰に文句を言うこともなく、黙々と医療行為を続けました。貧しい人からは代金を受け取りませんでした。中国人の学生に日本語を教え、年金を寄付し続けました。他人や国が犯した罪を個人で償い続けること、これが彼の生きる支えであり信念でした。この尊い善行のお陰で多くの恩恵を受けている日本人の私たちは、どのように受け取ることができるでしょうか? そして自分たちに何ができるでしょうか? 山崎さんは亡くなる前に死後検体の手続きまでしていたのです。【朝倉巨瑞】

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です