やれクリスマスだ新年だと、人間が創ったカレンダーに人間が追いかけられて、ホリデー・カードを発送し、コマーシャルに踊らされて買い物をし、最後の二、三日は正月料理の準備にあたふたと日々を過ごす。
 除夜の鐘を聴くことがなくなって久しい。テレビのカウントダウンで乾杯をして、「おめでとう!」と言った途端に新年である。考えてみれば何がおめでたいのか良く分からないが、世の中そういう仕組みになっているから隣近所や同僚に、あるいは世間一般に見倣って「おめでとう」と言い交わすわけだが、果たしてみんな心から喜びをこめて言っているのかどうか…。
 理屈はともかく、お祝いを言われて悪い気はしない。私などは内心、「昨年はいろいろお世話になり、ご迷惑もおかけしました。お礼もお詫びも不十分のままですが、年も明けたことですし、この際、過ぎたことはご破算にしてお忘れいただき、よろしくお付き合いの程を…」という殊勝な、いや身勝手な気持ちである。
 人間には、いや私のようなだらしない人間には、何かにつけて、軌道修正や反省をする区切りが必要であり、けじめが必要である。
 新しい年は否でも応でもやって来る。一夜明けたからと言って、急に人間関係が良くなるわけではない。心変わりをした恋人が帰ってくることもましてや借金が消えるわけでもない。しかし「今年こそ、次回こそ、明日こそ」と、私たちにはいつも自分を励ますための一区切りが必要なのである。
 失業率は高い。医療費や教育費、ガソリンも高くなる一方。税金のカットなど中の下の階級には大して助けにならない。にもかかわらず、昨年のクリスマス商戦では一般的に数%売り上げが伸びたという。つまりは市民がオバマ政権の無策をこき下ろしながらも消費する金を持っていた、という不思議な現象である。実際にはクレジットカードの残高が増えただけかもしれないが、必需品以外のものを買いたくなるという明るさが見えてきたと思いたい。
 さあここまで来れば、やはり素直に「おめでとう」と寿ぐべきでしょう。
 今年こそ頑張ります。【川口加代子】

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